安西先生は有能か無能か?「安西先生は無能」と言っている奴は間違いなく無能!【SLAM DUNK】

名作マンガ「SLAM DUNK」の名キャラクター「安西先生」について、しばしば「有能か?無能?」と議論になる。

そんな議論は、ハッキリ言ってくだらない。

「漫画キャラに有能・無能を議論しているのが野暮」という意味ではない。

「有能・無能」という評価は、立ち位置や視点で180度変わるからである。

そういった視点・役割・立ち位置なども踏まえた上で、安西先生有能・無能論を突き詰めていけば「優秀な人材育成・コーチとは何か?」というヒントが見えてくる。

安西先生の目的は「楽しむこと」

有り体に言ってしまえば、安西先生の監督としての目的は「自分が楽しむこと」が第一である。

要は自分勝手なのである。

過去に目をつけた谷沢という逸材の指導の失敗というトラウマを埋めるべく、あるいは桜木・流川という天才選手の成長を見守るべく、弱小高校で監督しているだけなのである。

「どんな選手でも鍛え上げて全国優勝させてやる!」
「どんな選手にも平等に接して活躍させてやる!」
「優秀な選手を我が校に引き抜いてやる!」

こんな、体育会系バカ特有の口だけ根性論なんて、ノミの糞ほど持ち合わせていない。

突き詰めると「全国大会で優勝する気なんてサラサラない」というのが、安西先生の本音である。彼の「優秀な選手を育てて成長を見守る」という目的の結果に、全国優勝というおまけがついてくるだけである。

その点だけで言えば、安西先生は間違いなく無能である。

部活動なんて9割以上が「ただの遊び」

だが、冷静に考えていただきたい。

高校の部活で「甲子園出場!」「全国優勝!」なんて息巻いている連中を筆者は鼻で笑っていたが、安西先生…否、作者や編集者も本質は同じように思う。

たかだか、学校公認で全国ナントカ協会・高野連からのお墨付きがあったり、進学の際の評価につながる程度の「遊び」でしかない。

その程度の遊びレベルに、熱中している奴らの気が知れないのである。

報われない努力ほど、虚しいものはない。

達成できるわけもないのに「全国優勝!」だなんて口先だけの部活動なんて薄ら寒い。

しかも、それを言っている本人たちが「全国優勝なんて無理だろ…」と半ば現実を認めているのに、無駄に努力をしている姿などはもはや涙を誘う。

しかし、こう思っているのは私だけではなく、ほとんどの人間がそうだろう。

かの第2次大戦中でも、現場の優秀な士官ほど「日本に勝ち目はない」と内心では悟っていたが、上層部のバカな「国民全員死ぬまで特攻だ!」というアホな国民心中テロリズムに付き合わされていたのである。

その点、安西先生は「絶対に全国優勝が無理」と思っている段階では、一切何もしていない。

全国優勝を目指す赤木、小暮に対し「絶対に無理」と言ってやる気を奪うこともしなければ、彼らの熱量についていけずに挫折して離れていく部員を止めもしない。さらに言えば、自身に尊敬の念を抱いて入部してきた三井ですら、完全放置である。

「安西先生無能」論者には、この監督不責任を無能の根拠にあげる奴がいる。

ハッキリ言って、そいつは無能である。

そもそも、高校の部活なんて自由入部なので、勝手に頑張って勝手にやめてもいいのである

そこに無理して「続けてみろ」「やめるやつは負け犬」という根性論振りまくバカは、企業でも無能上司としてレベルの低いマネジメントで、やめていく部下を使いこなせないのである。

もちろん、安西先生が会社での管理職なら許されざる暴挙かも知れない。

しかし、管理職の仕事はあくまで「人材管理・育成」であり「部下を絶対にやめさせないこと」ではない。ここを未だに勘違いしている無能管理職も多いように思う。

人間である以上、向き不向きは必ず存在するし、そのマッチング精度を上げるのは人事や面接官の仕事だ。そのくせして、未だに新卒一括採用や書類選考・面接のようなマッチング精度の低い採用方法をとっている会社も多いのである。

こういった、社会行動の意味や、人間のやる気の方向性・適材適所などを切り分けて考えられないやつが「部活動の監督は全部員を部活動に留まらせて、活躍させるのが仕事である」という勘違いをした結果「安西先生は無能!」と言い出すわけである。

安西先生は才能・能力主義のペテン師

もっというと、安西先生は完全に「才能・能力主義」の指導者である。

才能も適性もなく、伸び代ゼロの選手には、間違っても「努力しろ!」なんてことは言わない。

なぜなら、努力しても結果も出せずに、挫折する未来が見えきっているからである。

その果てにあるのは現代でも流行りのやる気の喪失、頑張っても決して報われない「うつ病」という症状だけである。

しかし、安西先生は能力や才能のある人材には、決して挫折でくじけないような精神マネジメントを徹底している。数々の名言からも、それは見て取れるだろう。

「失敗」「挫折」という、あらゆる人間が体験する恐怖を、完全に活かしきっているのである。

生半可な覚悟で強豪に挑めば、それこそトラウマ級の失敗経験を背負い、やる気を失くすかもしれないが、安西先生はそのトラウマを選手に背負わせないように、徹底して選手の士気を高めている。

そして、安西先生は実にペテンが上手い。

決して「勝ちにいけ、やってみろ」という無責任な指導や難題ふっかけでなく、

  • 監督としてここぞという時の「勝てる」という断言(負けた時の責任感を自分に配分する采配)
  • 全国制覇とは口だけの目標かね?」(選手への煽り・発破がけ)
  • 断固たる決意が必要なんだ」(決意も覚悟もない失敗なんて、無能感を加速させるだけ)

と、選手に適切な指導、しかも精神論・根性論を言っている。

ただしこれは本当に口だけでなく、選手に適切なステップを踏ませて「実感として理解」できるレベルまで追い込んだ上で、言っている。

だから、読者の心に響く名言にもなるわけだ。

そういう意味で、作者も編集者も、かなり計算した上で安西先生の名言を「ここぞ」という時にぶち込んでいる。

このことを理解しないで、上っ面な漫画の名言を現実で使ってみても、まったく人の心に響かないものとなるのがオチだ。

もちろん冒頭にも説明しているが、安西先生自身には「何が何でも全国制覇したい」なんていう目標は1ミリたりとも存在しない。

そんな目標など、ただ選手のやる気を煽って成長させるための餌なのである。

この安西先生の策略家っぷり、あるいは自分勝手さ=自己実現を部活動で活かしているという側面を見抜けなければ「安西先生は無能」という結論に至るのである。

安西先生は有能な監督であるが…

総合的に見れば「有能な怠け者」にあたるのが、安西先生の指導である。

「伸びるわけがない」「成長するわけがない」と言った人間には、一切干渉しないし、逆に無理難題をふっかけることもしない。

ただし、安西先生の指導法は「自発性のある人材」「才能・適性のある人材」のみにしか通用せず、それ以外の「無能」「やる気のない人材」には一切通用しないどころか、それこそグレていた頃の三井みたいな落ちこぼれを増やす結果にもなる。

そして、残念ながら9割以上の人間があらゆる組織においては「無能」「やる気のない人材」なのである。

「能力のない人間にも居場所を与えろ」
「やる気のない人間にもやる気を与えろ」

…という、部下側の主張からすれば、たしかに安西先生は無能なコーチと言えるだろう。

しかし、安西先生からすれば「そんな人材はいなくてもいても、優秀な人間の足を引っ張らなければどうでもいい」というのが本音だろう。

これは会社とて、同じことが言える。

上司や上層部を無能だと感じているのあれば、逆説的に会社側からしても「あなたはいてもいなくてもいい、辞めてもいい人材」なのだ。

有能な人間からすれば自分に合ったコーチや上司は「有能」と思えるし、そうでなければ「無能」と思えるのである。

突き詰めると、単に「相性の問題」であることがわかってくるのである。

おまけ:作者・編集者のメタ視点的な考察

ついでに言っておくと、安西先生の行動原理や台詞には作者である井上雄彦氏や、ジャンプ編集部の意向や経験則も思いっきり込められていると考えるべきである。

言わなくてもわかるだろうが、漫画家・週刊誌の世界は能力主義・成果主義の仕事である。

才能も伸び代もないような漫画家など、編集者は見向きもしない。そんな見向きもされない漫画家が「編集部は無能!」なんて言っても、薄ら寒い負け犬の遠吠えでしかない。

よっぽどの才能がなければ、勝手にグレて離れていく漫画家に構う時間も余裕もないし、逆に「頑張ればいい!」などと見当違いの努力主義者も報われることはない。

そんな、凡百のどーでもいい人材に、有能マネジメントを施すほど、社会は優しくも暇でもないのである。

そういった、漫画家・出版社の生の体験も漫画に込められていることを想像すると、また安西先生の監督っぷりも違った視点で楽しめるのではないだろうか。

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