欧州筆頭!戦国DQN四天王伊達政宗推して参る!破天荒に生きた戦国風雲児の魅力に迫る!

ヒャッハアアアア!!!!

オレの名前は伊達政宗だ!!!!!!

今、WEBライターの頭の中に取り憑いて、現代に降臨してやったぜ!!!!

今回はオレの功績をお前らに教えてやるから、

最後まで読んで参考にしてくれよな!!!

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堅っ苦しい礼儀はクソだぜ!!!

現代人に知っておいて欲しいんだが、

礼儀とかマナーとかクソだぜ!!!!!!

仁に過ぎれば弱くなる。
義に過ぎれば固くなる。
礼に過ぎれば諂へつらいとなる。
智に過ぎれば嘘をつく。
信に過ぎれば損をする。

出典:伊達政宗五常訓

オレの考えた教訓だが、現代風に教えてやろう!!

人情に過ぎればビジネスパーソンとしては弱くなる!!
やさしさや人の良さだけじゃ仕事は上手く行かねえってことだなァ!!

道理の義にすぎれば融通の利かねえ固いヤツになっちまう!!!
法律や規則ばっかりにとらわれてると、学校の教師みてえに融通が利かなくなるぜ!!

権力に怯えて礼儀ばっかりにこだわれば、媚びへつらうだけになっちまう!!!
時には媚びない姿勢も重要だぜ!!大物にしょうもねえ贈り物とか逆効果だな!!!

知恵が過ぎればウソをつきまくるから考えものだな!!!
だから相手にバカに見られていたほうが得ってことだ!!!

だが、信じ過ぎればだまされて損をするのも事実だな!!!
いつの時代も騙し合いってことだな!!!

以上、これがオレが儒教の五常に書いた反証だぜ!!!!

大名として守るべきとこは守ったが、時には型破りに行く必要もあるってことだなァア!!!!

ヒャッハアアアア!!!!!!!!

派手に行こうぜ!!!!!!!

手の平返しは得意だぜ!!!!

オレの特技は「手のひら返し」だぜ!!!!!!

秀吉の奴が小田原攻めで北条を攻めてきたときは流石に焦ったな!!!!

(やべえよ、やべえよ。あいつ怒らせたらマジでやべえよ)

そこでオレが考えついたパフォーマンスは「白装束着て、死ぬ決意で従順の意を示す」という方法だぜ!!!!!!

我ながら、迫真の演技だったと思うぜ!!!!!

大河ドラマ「伊達政宗」で立ち小便の話が流行ったらしいな!!!!

大河ドラマのクセして歴史を小便で塗り替えちまうとは、NHKも汚えことするなァア!!!

実際に立ち小便したかどうかはプライバシーの話なので内緒だぜ!!!

現代では「手のひらクルー」という言葉が流行りのようだな!!!

ぜひ、オレの手のひら返しを参考にしてくれよな!!!

大物相手でもハッタリは忘れないぜ!!!

男は舐められたら最後、一生都合良く使われて終わりだぜ!!!

実際、大物相手にハッタリかましまくったおかげで、家康の狸に縁組を迫られて得したぜ!!!!

ついでに大阪の陣で味方相手に鉄砲ぶっ放すなんてこともやったな!!!

一説によれば、翌5月7日の天王寺の戦いで政宗は船場口に進軍し、明石全登隊と交戦していた水野勝成勢の神保相茂隊約300人を味方討ちにしたという(6日の道明寺の戦いで発生したとする説もある)。神保隊は全滅し、相茂自身も討ち死にして遺臣が水野勝成らを通じて政宗に抗議するが、政宗は開き直り「神保隊が明石隊によって総崩れになったため、これに自軍が巻き込まれるのを防ぐため仕方なく処分した。伊達の軍法には敵味方の区別はない」と主張したとある(『薩藩旧記』巻六)。

出典:伊達政宗-Wikipedia

家康の野郎に舐められっぱなしは困るから、脅しておいたぜ!!!

「こいつをキレさせたらヤバイ」と思わせておけば、大体の問題は片付けられるぜ!!!

ぜひ力をつけた奴らは真似してくれよな!!!

ついでに真田の野郎に煽られておいて、わざと書き残しておいて、家康ディスしておいたぜ!!!

このため信繁は悠々と大坂城に引き返し「関東勢百万と候えど、漢たるは一人も無きに見えにし候」(「関東武者は100万あっても、男と呼べる者は誰一人として居ない」)と嘲笑したという。

出典:伊達政宗-Wikipedia

真田の妻と娘を保護しておくとかいう、対家康いやがらせ工作も忘れてなかったぜ!!!!

江戸幕府安泰後の徳川家も、オレに内心ビビってたんじゃねえかァ!!!?

ハッタリは有効な交渉術だぜ!!!!

親父でも情けは不要だぜ!!!

オレは親父に「構わん!!!私ごと撃て!!!!」と言われて、マジで撃ったぜ!!!

どこぞのガンダムボーイみてえに「撃てましぇーん!!!」なんてことは言わなかったぜ!!

ところが輝宗は、所領安堵の件などの礼に来ていた義継の見送りに出たところを拉致される。当時鷹狩りに出かけていた政宗は、急遽戻って義継を追跡し、鉄砲を放って輝宗もろとも一人も残さず殺害した。

出典:伊達政宗-Wikipedia

一国の主たるもの、時には情を捨てて合理的な判断をしなければならないこともある。

親の仇は皆殺しに決まってんだろ?

やるんなら、徹底的にぶちのめさないとなァ?

天下が安泰しても好機は逃さねえぜ!!!

徳川家康のクソ狸にも従ってる”フリ”を見せておいたが、天下を取る気は満々だったぜ!!!!

どんな時流でも、オレはチャンスは逃さねえぜ!!!!!!

今も心の弱いライターの精神を乗っ取って、現代に降臨してやるほどだ!!

死んでも活躍するぐらいじゃねえとなァアア!!!

江戸幕府政権発足後は、家来の支倉をスペインに派遣したぜ!!!

政宗は仙台藩とエスパーニャとの通商(太平洋貿易)を企図し、慶長18年(1613年)、仙台領内において、エスパーニャ国王・フェリペ3世の使節セバスティアン・ビスカイノの協力によってガレオン船・サン・フアン・バウティスタ号を建造した。政宗は家康の承認を得ると、ルイス・ソテロを外交使節に任命し、家臣・支倉常長ら一行180余人をヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)、エスパーニャ、およびローマへ派遣した(慶長遣欧使節)。

出典:伊達政宗-Wikipedia

現代だと海外出張、最近だと国外展開している企業も多いみたいじゃねえか!

オレのパクリだな!!!

家康の爺は出島でチビチビ外交とか、器が小さかったな!!!

今もあいつのせいで、日本人は引きこもりばっかの、鎖国体質だなァア!!!

ついでにオレは死ぬまで徳川幕府をぶっ潰す気満々だったぜ!!!

軍記物『東奥老子夜話』によれば、政宗は幕府軍と天下を賭けて戦うことになった場合を想定し、「仙台御陣の御触に付御内試」という、幕府軍との決戦に備えた図上演習、すなわち作戦立案をしていたとされる。

出典:伊達政宗-Wikipedia

これは計画だったので、秀忠の坊っちゃんたちの前でネタバレしてやったぜ!!!!

1628年(寛永5年)3月12日、政宗は徳川秀忠を仙台藩江戸屋敷に招待して供応した。このとき、政宗自らが秀忠の前に膳を運んだのだが、そのとき秀忠側近の内藤正重が、「伊達殿に鬼見(毒見)をしてほしい」と声をかけた。政宗はこれに対して、「外記(正重)言はれぬ事を被申候。政宗程の者が御成を申自身御膳を上るうへ。おにする(毒見する)所にてはなきぞ御膳に毒を入るるは、早十年前の事なり十年前にも。日本の神かけて毒などにて。殺し奉るべきとは夢々思はぬぞ。一度は乗寄てこそとは思ひ候」と激怒して返答したと、『政宗公御名語集』に記されている。つまり、10年前の1618年(元和4年)なら、(徳川幕府の基盤がまだ磐石ではなかったため)謀反を起こす気もあったが、その時でさえ、この政宗は毒殺などというせせこましいことはせず、一槍交えて戦おうとしただろうと正重を厳しく叱責しているのである。

出典:伊達政宗-Wikipedia

その後全員ビビってたが、とくに問題なかったな!!!!

信頼と実績さえありゃあ、過去の企ては許されるってことだァ!!

若手には先輩として器量を見せるぜ!!!

家光の坊っちゃんのは懇意に付き合ったぜ!!!

寛永12年に家光が参勤交代制を発布し、「今後は諸大名を家臣として遇す」と述べると、政宗はいち早く進み出て「命に背く者あれば、政宗めに討伐を仰せ付けくだされ」と申し出たため、誰も反対できなくなった。家光は下城する政宗に護身用に10挺の火縄銃を与えた。

出典:伊達政宗-Wikipedia

ガキ相手に器量を見せることこそ、後進の努めだぜ!!!!!

お前らの上司の器量は小さくねえか?

あるいは年下の上司にエラソーな態度とってねえか?

戦国時代も現代の日本も本質は変わりねえぜ!!!!!

若手には男の器量を見せてやれよな!!!!

死ぬ前までポジティブに生きたぜ!!ヒャッハアア!!!

オレは死ぬまでポジティブに生きたぜ!!!

曇りなき
心の月を
先だてて

浮世の闇を
照してぞ行く

伊達政宗 辞世の句

ヒャッッハアアアア!!!!!!!

今の日本は陰気くせえ世の中だなァア!!!!!!

だが浮世の闇を照らしてこその人生だ!!!!!!

片目が見えないハンディキャップなんて知ったことじゃねえ!!!!!!!

両目が見えても視野が狭いやつはいるが、オレはその分視野を広げることができたぜ!!!

心が曇ったままじゃあ、前に進めねェエ!!!!

ポジティブに生きようぜェエ!!!
ヒャッホウゥウウウ!!!!!!

ちなみに、オレが死んだ後は国中挙げて盛大に葬儀したらしいな!!

遺体は束帯姿で木棺に納められ、防腐処置のため水銀、石灰、塩を詰めた上で駕籠に載せられ、生前そのままの大名行列により6月3日に仙台へ戻った。

将軍家は、江戸で7日京都で3日人々に服喪するよう命令を発した。これは御三家以外で異例のことであった。

出典:伊達政宗-Wikipedia

派手なオレにはお似合いだなァアア、オイオイ!!!!!

最近ではゲームにまで登場しているらしいなァ!!!!

死んだ後にビッグになってこそ、男の本望だぜ!!!!!

男なら老後の年金とか死んだ後の遺産相続とかしょぼいこと考えてねえで、

死んだ後に名を残す偉業を成し遂げることを考えようぜ!!!!!!

お前らも派手に生きようぜ!!!

どうだったか?

オレがどれだけビッグがわかっただろ?

オレみたいに生きたけりゃ、もっと派手に生きようぜ!!!!

秀吉や家康みてえな権力者にビビることはねえ!!!!

そしてこんなチンケなサイト読んでる暇はねえ!!!!

お前がスマホで暇つぶししているうちに、秀吉みてえな成り上がり野郎が勢力広げまくっているかもしれねえんだぜ?

だが、恐れることはねェ!!!

オレの伝家の宝刀”手のひら返し”と”従っているフリ”を極めりゃあ、いくらでも立ち回れる!!!

生き方に悩んでるヤツらはオレの生き様を参考にしてくれよなァ!!!!

織田信長とか豊臣秀吉とか異端児過ぎて参考にならねえからな!!!

オレが一番参考になるぜ!!!!

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