本当の自由とは何か?「自由なんて必要ない」と考えている筆者が哲学的に述べる

私は、不自由な人間である。

…が、なぜか他人からは「自由人」だと思われている節もある。

なので、この際、しっかりと弁明しておきたいと思う。

ニートという自由期間は、ただの悪夢だった

私は既卒後、ニート・フリーターとして生きてきた過去を持つ。

世間ではフリーターやニートは「自由な奴」なんて思われているが、まったく自由ではない。

むしろ「自由という名の格差」により、不遇な思いをしたと言ってもいい。

社会のことを理解すれば自明だが、自由とはすなわち「強い奴が勝っていい思いをし、弱い奴は嫌な思いをする」ことを意味する。

要は、強い奴にとって都合がいいから「自由」がもてはやされるのだ。

自由恋愛主義では魅力的な異性が無法に勝利し続け、資本主義社会では持つものがドンドン肥え太る。

自由にチャンネルを選べるテレビも自由に情報を選べないし、そのアンチテーゼでネット情報にすがってみても、ただ単に「テレビよりは選択肢が多い」だけでしかない。

「持たざる者」が自由を得たって、何も出来ない。

むしろ、自由を謳歌する奴らによって、嫌な目に遭わされるのが常だ。

「自由」の名のもとに、すべての無法と傲慢が、許されてしまうのである。

私がニート・フリーター時代に知ったのは、その事実だけである。

多くのフリーターやニートが「自由に生きているか?」と言われれば、まったくそんなことはない。

むしろ、明らかに正社員として働いたほうが、本人的にも社会的にもいいと思える人の方が多いぐらいだ。

それは、実際現場で働いてみて、色々な事情を抱えた人と関わってみれば、嫌というほどわかる。

そこに行き着くまで、それぞれの物語があるのだ。

そういう人は、ただ単に「就活時の経済状況が悪かった」だとか「縁に恵まれなかった」だとか「社会人として評価される方法がわからない」だとか「努力の方向性が、社会のニーズとズレていた」だとか、そういう事情を抱えている。

本当は現状から抜け出したいのに、方法がわからなかったり、チャンスがない人もいるし、ましてや経済的・時間的にも余裕がない人だっている。

それをなぜか、正社員様たちは「努力が足りない」「自己責任だ」などと、相手のことも知らないうちから決めつける。

まともな社会経験があれば、相手を肩書きやステータスだけで判断することがどれだけ愚かかはわかるはずだし、調整や交渉は何度も何度も相手と対話し合って進めるのが鉄則だ。

が、どうやら社会経験があっても、そこに気づけないバカも多いらしい。

「すべての人間が、自分と同じように良い大学出て、就活に成功して、順調にキャリアコースを歩んでいる」と思いこんでいる、想像力の足りないホワイトカラーの連中など、その最たる例だろう。

そーいう連中が「オシャレなオフィスで、汚いものを見なくていい仕事」に甘んじてられるのは「誰かが嫌な思いをしている」からである。

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もしあなたが社会人の読者であって、この文章に反感を覚えているのであれば「お前が経験から学んでいることなんか、ニートが頭の中で考えていること以下の価値だよ」と知っておいて欲しい。

そういった経験や反省もあるので、私は「自分と同じような挫折をした人に、勇気を持って社会復帰するきっかけにして欲しい」と思っており、サイト制作の一つの原動力となっている。

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クリエイティブな仕事≠自由

よく「クリエイターは自由な仕事だ」と言われるが、偏見もいいところである。

実際はクライアントの奴隷であり、商業主義の奴隷でもある。

これは私が学生時代、何度も何度も何度も何度も言い聞かされたことなので、心の奥底に刻み込んでいる事だ。

そうして気づくことは「自分を圧し殺して、ただクライアントや消費者のニーズに見合ったものを作り出す能力こそ”本当のプロ”だ」ということである。

なので、私は自分を匿名性の闇に葬り去っている。

結果として、私はクリエイティブなことを仕事には出来なかったが、学生時代に学んだマインドは今の仕事に活きている。

これに関しても「キャリアの見通しが甘かった」「やりたいことを仕事にする必要はなかった」と反省しているので、その点をサイト制作の原動力にしている。

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「自分の意志で選んでいると思うなよ」

人間、愚かなもので「この選択は、自分自身で決めたものだ!」と、思いたがる生き物である。

たとえば「就職活動で自由に職業選択が出来る」と思っている学生は多いが、実際はまったく自由ではない。

それは、リクルートやマイナビが圧倒的情報量と選択肢を提示しているから「自分は自由に仕事を選べるぞ!」と、錯覚するだけなのである。

マクロ視点で見れば「学歴」「その時の経済状況」によって、すでに選べる職業というのは限られてしまっている。

市場分析が出来ない人間は、そこを見誤り「自分は何にでもなれるんだ!」と信じ込んでいる。

そこを勘違いして挫折すると「学歴フィルター」に不平不満を言ったり、あるいは見当違いなリクルート・マイナビ批判をしだす末路を迎えることとなる。

”選んでいる”のではなく”選ばされている”だけなのであり、それは自由とは言わない。

人間は成長過程で親や教師、あるいは現代人ならメディアから情報を得て、価値観を形成していく。

そして、なぜかそれを「自分の意志」だとか「自分だけの価値観」だと思いこむ。

残念ながら、そうではない。

自分自身で決めたと思っている選択も、すべからく、誰かからの意志や影響が介入している。

自分の意志で選んでいると思えることでも、実際は自分の意志で選んでいなかったことに、そのうち気づくのである。

そんなものは「自由」ではない。

「呪い」だ。

…なので「職業選択の自由」を信じ込んで痛い目に遭って嘆いている人間を、躊躇なく転職エージェントに登録させる仕事にも、一定以上の現実的な価値はあると言える。

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自分で選んだ道を進み通すことこそ「本当の自由」

以上のように、私個人は「自由なんて必要ない」と思っている。

仕事においても目標や利害を計算すれば、自ずとすべきことは見えてくるので、そこに自由意志の入り込む余地などない。

…が、もし「本当の自由」だあるとしたら、それは「自分自身の意志で納得した道を進み通すこと」だと思う。

「誰かに言われた通りに生きている」
「世間体や社会的評価のために生きている」
「本当は挑戦したいことがあったのに、泣く泣く折れた」

こういう人間は、ずっと不自由さから抜け出せない。

なぜなら、根本的なところで、自分から決断して道を選んでいないからだ。

だが、別に私はそれでいいと思う。

誰かの決めたルールや価値観に従って、誰かに背中を押してもらって生きたほうが、間違いなく楽だから。

誰もがそう強くは生きられないし、重い使命や責任を背負えるほど仕事に価値を見い出せる人間は”異常”なのである。