「普通」という概念はただの優生学。「普通とは?」を哲学的論法で考える

「普通」

これほど、ふざけた言葉もないと思う。

人間なんて誰もが特別であって、みんな違って当たり前だからだ。

だが、世の中の実態は違う。

「こんな普通のこともできないの?」
「普通に生きてれば、そんなことにはならないでしょ?」
「普通、こうするでしょ?」
「普通に生きてくれ」

このように、ワケのわからない「普通」という概念がたしかに存在する。

まあ、私自身はもう「”普通”とは何か?」について、ほぼ納得のいく結論を得ているので、論じる必要もないとは思っている。

それこそ「普通ではないことが、普通だ」の一言で済む。

…が、どうにも「普通とは何か?」について、書いておいた方がいいと感じることがあまりに多すぎるので、この機会にあえて書いておくにした。

「普通」という言葉はただの「優生学」

結論から言おう。

「普通」という言葉は、ただの「優生学」だ。

「選民思想」とも言い換えられる。

「普通でない人間」を、社会にとって都合のいい人格に洗脳するための言葉が「普通」の正体だ。

※優生学についての解説は長くなるので省く。ナチスの歴史的過ちを学べば、その危うさは自ずとわかるので、いちいち説明するまでもない。

参考リンク:優生学|Wikipedia

精神医学と心理学も「優生学」

私がこの結論に至った気づきの書が「精神科は今日も、やりたい放題」という本だ。

この著書によれば「精神医学も心理学も、優生学ベースの権威的学問」と位置づけられている。

要するに、大多数の一般の目から見て異質であり、社会的に好ましくないものを規定し、隔離するというのが、考え方の基本として存在してきた。その呼び名が狂人であったり変人であったり天才であったりしたものが、「精神病者」に変わったにすぎない。

つまり精神医学であろうと心理学であろうと、その発症と起源をたどれば優生学という概念にたどりつく。

自分は「変」ではなく、他の人間は「変」である、なので「自分のほうが優れている」という考え方が根本にあり、逆に言えば「なぜ彼らは劣っているのか」ということを学問として規定したいがために発生したという点において、、精神医学は他の医学とはまったく違う動機性を持っている。

出典:「精神科は今日も、やりたい放題」内海聡 著

私も、この意見には概ね賛同だ。

どちらも読めば読むほど、知れば知るほど「おかしい」と気づく類の学問だからだ。

事実、精神医学や心理学は「あなたは普通ではありません、普通になりましょう」という類の意図で用いられることが、大半である。

世間を賑わせている「発達障害(ADHD)」「アスペルガー症候群」「うつ病」などの現代病なども、その類だ。

あらかじめ断っておくが、私は別に精神科医にお世話になりたい人は、なればいいと思っているので、何も精神病患者を責めたいわけではないし、すべての精神科医に廃業して欲しいわけでもない。

ただ、一度「本当に自分は精神疾患なのか?」は、疑ったほうがいいと言う話をしているだけだ。

たとえば「うつになる奴は弱い」などとよく言うが、事実、単に心が弱いだけなのだ。

上司に追い詰められて、うつ病になるケースの場合で考えてみようか。

そもそもが、本人に「上司と辞表を叩きつける覚悟で戦う」「弁護士に相談して痛めつけられた分の慰謝料を取り返す」「逃げる」という選択肢がないから思考が八方塞がりとなり、結果としてうつ病になるだけの話だ。

だが、別にそれは悪いことでもなんでもない。

なぜなら「社会では、上の言うことを聞いておくのが”普通”」と教えられていて、上司に一戦交える覚悟で辞表叩きつけるような蛮行は”異常”と思い込まされているからだ。

別に法律や社内規則には「上司に辞表を叩きつけはいけない」など書いてないし、その法律ですら「暴行をすると罰せられる」としか書いてなく、別に「してはいけない」なんてことは書いていない。

すべては”思い込み”でしかない。

むしろ、上の例で言えば「普通であろうとする人ほど、うつ病患者という異常者になる」という、とんでもない矛盾を内包している。

つまり、思考の逃げ道がなければ、精神病に行き着いてしまうのである。

私が文章を書いているのも、そういった”思考の逃げ道=新たな選択肢”を作るためだ。

優生学は人類の進化と成長を否定する

人間とは、過ちや間違いを犯すし、失敗や挫折を繰り返す弱い生き物だ。

だが、そこから学んで成長できる強さもあわせ持つ。

その破壊と想像の歴史の上にあるのが、今の人類であり、今のあなただ。

しかし、優生学ベースの精神医学や心理学は、それを否定する。

「誰が優秀で、誰が無能か?」の定義を、求めたがる。

「お前が下、自分が上」とわからせるために、知識や学問を悪用する。

本来、挫折や失敗を何度も重ねて成長するはずの人間を「お前は無能だ」と定義して、強制的に排除するために「普通」という概念が用いられるのだ。

人間が成長して「普通」に近づくためには、時間もかかるし、多くの犠牲を払う必要がある。

それも単に「運が良かった」とか「ちょっと周りより才能があった」とか「他より少しだけ努力した」とか、わずかな差で立ち位置が変わる。

ただ、それだけのことでしかないのだ。

それを「精神病だ」とか「心理学で問題とされている性格だ」というのは、ただの知的階層や権威側の傲慢だ。

精神病や心理学によって個人の抱える問題を「定義する」ことで、人間が自分の弱さを受け入れて成長できる機会を、奪いかねない結果にもなっている。

個人の人格・性格の問題など、本人が痛い目を見て学んでいけば、それでいいだけの話だ。

それを「あなたは〇〇病なのでお薬で治しましょう」などと抜かすのは、お節介にもほどがある。

皮肉にも、優秀な人間を生み出すための理論(あるいは、無能な人間を矯正する理論)が、優秀な人間に成長するための芽を潰す結果となっているのだ。

しょせん、机上の理論の生み出すものなど”その程度”なのである。

「普通にもなれない、無能は死ね」

上記のような理屈は、まともに考えれば自ずと気づくことなので、別段特筆すべきこともないし、どうでもいい。

精神医学ビジネスで儲けている人間はたくさんいるし、心理学などはもはやマーケティングの必修科目だ。

各々、好きに使えばいい。

問題は、別のところにある。

上記のような”普通に考えれば当たり前にわかること”を、自覚していない人間、あるいは無意識に利用している人間があまりに多すぎることである。

これはもう、本当に頭が痛くなる問題だ。

たとえば、マイナビあたりが書いてある「就活マナー」なんて、もろに優生学ベースの「こうするのが普通ですよ^^」という書き方である。

本来、ビジネスマナーや品格などは、経験に応じて身につければいいだけの話だ。

学生など、生意気で結構ではないか。

理系のオタクが、自分の好きな分野について熱く語りすぎるのも、いいことではないか。

度量のある大人であれば、そんなもの気にせず、しっかりと耳を傾けれくれる。

私も、そういう人間でありたい。

…が、マイナビの就活マナーは、それを否定する。

そんなものを真に受けている就活生や企業が日本の中核を担っていると思うと、悲観的になるのもしょうがない。

人材会社としても、おそらくあの手の就活マナーやノウハウは「わかってて、書いている」のだとは思う。

…が、どうにもその「わかってて、書いている」をわかっていない人間は、かなりの数いる。

そうなると、おぞましい事態が起こることになる。

「大手人材会社の就活マナーを守れない人材は無能」

こういう考え方をしてくる人間が、一定数出てくるのだ。

これは別に、就活マナーだけの話ではない。

「最近の若者はこんなことも出来ないのか?」
「みんな普通にできるのに、なんで君だけは出来ないの?」
「大学出てるのに、こんなこともわからないの?」
「なんで非正規なの?普通に正社員になりなよ」

こういった類のことを、あたかも「普通」として押しつけてくる人間だらけになるのだ。

人それぞれに事情があり、生きてきた経緯も違う。

「普通の定義」など、生まれ育ちで変わるのが普通なのだ。

しかし、なぜかそこに気づけない人間は多い。

その結果「普通にもなれない、無能は死ね」と、社会が言っているような錯覚を覚えるのである。

これが「生きづらさ」の正体でもある。

高度な文明の発達が「普通」のハードルを上昇させていく

これは私の持論だが「文明の発達により、人類はバカになった」と思っている。

たとえば、以下のように「人間=機械のように便利なもの」と考える輩が増えたせいだ。

  • 電球の発達により、深夜まで残業する習慣が出来た
  • 携帯電話の普及により、24時間コンビニ感覚で他人を利用する人間が出てきた
  • LINEの既読機能により、メッセージを送れば相手が読んで意図を察してくれると勝手に思い込む人種が出てきた

上のような例は、挙げだせば枚挙に暇がない。

どんなに文明の利器を使いこなせようが、人間の本質は決して変わらないのである。

電球が発達して徹夜作業が可能となっても、人間のスペックが上がったわけではない。
携帯電話で24時間どこでも連絡できるようになっても、人間が24時間動けるわけではない。
メール・LINEで一方的にメッセージを送ったところで、読まれなければ何も伝わらない。

常識的に考えれば、バカでも気づく。

しかし、なぜかホワイトカラー・有名大卒レベルの頭のいい人種でも、このような当たり前のことに気づけず、ブラック企業がはびこる結果となる。

そのうち、人間はこう言うだろう。

「なぜ、機械ごときでも出来る普通の仕事を、君は普通に出来ないの?」

スマホでワンクリックで商品が届く時代、それが「普通」なのだ。

人間様が、機械に心を奪われている証拠。

なんとも情けない話で、嫌になってくる。

関連:機械のような性格の私が感情と人間性を取り戻した結果…【AIと化した私から人間への挑戦状】

「普通」という概念が、社会を滅ぼしかねない

我が国では、仕事・働き方に関して、以下のような課題がある。

  • 非正規・正規の格差
  • 終身雇用制度崩壊による、働き方の多様化に企業側が適応できていない
  • 少子高齢化による、慢性的な若手人材不足
  • 外国人労働者の受け入れ拡大

これも「普通」という押しつけが、現場単位での差別意識や相違を生む未来は、嫌なほど目に見えている。

非正規・正規の格差など、みなまで言うまでもない。

非正規だろうが、正規だろうが、フリーランスだろうが「仕事は仕事」だ。

そこに貴賤はない。

最低限のプロ意識を持って、事に当たるのみなのだ。

…にも関わらず、立場や待遇によって意識の差が生じる。

それを問題だとも思わない人間も、実に多い。

「努力しない人間が悪い」
「あいつらはやる気がない」
「あいつは普通じゃない」

そこで思考を停止すれば、何も考えずに済む。

「自己責任」の一言で、すべてが片付く。

そのことに疑いを抱くことすら、多くの人はしない。

世の中の問題は、簡潔な因果関係や善悪論で理解できるほど、単純ではない。

糸が絡まり合っているかのように、ずっと複雑なのだ。

それを「普通じゃない」だけで片付けてしまう人が多いのが、一番の問題だ。

普通の日本語を話せない外人など、同じ日本語同士でさえまともにコミュニケーションをはかれない人間が、どうしてまともに付き合えようものか。

相互理解のために必要な努力を「普通じゃない」という理由だけで放棄すれば、その先にあるのは、ただの分断社会である。

そして、読者に覚えておいてほしいのは、意図してそういう対立構造を煽っている連中がいる…という事実である。

そこに気づかなければ「ワケのわからない敵と戦い続けて、消耗させられる」だけの結果にしかならない。

「普通」という呪いから抜け出すためには?

以上のように「普通という名の呪い」は、実に根深い。

そんな世間の「普通信奉」に負けないためにも、私が読者に伝えたいことは、以下の3つだ。

  • 普通でない自分を受け入れる
  • 「普通」を演じておく(演じるだけでよい)
  • 他人に「普通」を押しつけない

「普通でないことが、普通」という普通を、普通に受け入れるだけでいいのだ。

世の中の言うところの「普通の人」になって生きれば、思考停止できて楽なのかもしれない。

だが、そんなものは人間の中に眠る可能性を殺すだけの、詭弁でしかない。

最後まで、こんな「普通じゃない文章」を読んで頂いた読者にも、ぜひとも「普通じゃない自分」を受け入れる強さをを持って欲しい。