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「原点思考」について|ストレングスファインダー【原点にして頂点】

ストレングスファインダーで「原点思考」がぶっちぎりの一位だったのですが、ざっと見た感じ「ん?他におらんのか?」という感じだったので、書き記しておきます。

ストレングスファインダーを使った段階で「どうせいつもと一緒で戦略思考か分析脳が出るんでしょ?」と思っていたのですが、実際の診断結果は「なるほど!そう来たか!」と意外な発見でした。

この手の診断結果、いざ書こうと思うと「当たり前のことしか言ってなくね?」という感じで色々と判断に困るのですが、こと原点思考に関しては「原点にして頂点」という感じで面白おかしく書けそうだったので、言語化しておきます。

※解説に関しては、ストレングスファインダー公式の説明で事足りるので、当記事は私見・解釈のみに論点を絞ります。

愚者は経験から学ぶが、賢者は歴史から学ぶ

 「過去を振り返ることができない者は、過去を繰り返す運命にある」という言葉の意味を彼らに伝えます。

これに関してはドイツの鉄血宰相ビスマルク「愚者は経験から学ぶが賢者は歴史から学ぶ」の至言で片付くので、あんまり特筆することはないでしょう。

それだけでは味気ないので、私が大嫌いな言葉であり、経験主義猪突猛進脳筋ゴリラが大好きな「行動しろ!」に関して、説明しておきましょう。

私は仕事・プライベートにおいては「具体的にどういう戦略を持って行動するのか?」という行動原理の背景が理解できなければ「何をすればいいのかわからない」というバグを起こします。

これ、本当に複雑でめんどくさいのですが「結果を出せ」であればさっさとデータ集めて(行動して)仮説・検証を構築できるのですが、何の目的も指針も示さずに「行動しろ」とだけ言われれば「だーかーら、具体的にどの部分が”行動してない”に値して、どういう目的で行動すればいいのさ?判断材料よこせボケ」という脳内処理をするので、ここがちょっと他の思考の人間とコミュニケーション障害を起こす原因らしいです。

(ゴールもないのに走り出すバカがいるものか)

ですので、結果的に「結果出せば手段はなんでもOK」というプロセス軽視の指示の方が好ましいのですが、そこを勘違いして「あいつは成果主義だからプロセスは軽視してもいい」という対応をされると「だーかーら、お前らが途中のプロセス理解する気がない・話聞かないバカだから途中の説明省いているだけであって、身の程弁えてこっちに全部委任しろボケ。じゃなきゃ黙れ」となるので、色々とめんどくさいのです。

※この性質があるので、背景がまったく見えない相手であったり、途中のプロセスを軽視して結果だけを求める相手とは、絶望的に噛み合わないです。

なので、自社の企業理念や経営方針まったく理解してないで上の指示だけこなしているマニュアル対応くんとか「お前よりオレのほうがお前の会社を理解してんだから、さっさと言う通りに情報だけよこせ」とイラ立つわけです。

…という感じで、自分の経験と目の前の事象でしか判断できない人間がすさまじいストレス要因ですので、上手い付き合い方を考えておかないとダメです。

※このあたり、ミイダス適性チェックの上司と部下の相性表が一致しまくってて面白いです。

過去を振り返る、振り返る、振り返る

あなたは過去を振り返ります。そこに答えがあるから過去を振り返ります。現在を理解するために、過去を振り返ります。

そりゃあ、もうすべてにおいて後悔と反省しかありません。

人と会う度に「もっと上手い伝え方やいい質問の仕方があったんじゃ?」と後悔ばかりが先立つますし、当ブログの記事だって書く度に「これで本当にいいのか?Googleよ?それで上位に上げていいのか?それで本当に読者のニーズを満たせるのか?読者もそれで満足なのか?」という感じで、ずぅーっっと頭が過去の失敗と己の未熟さに囚われ続けてますよ。

振り返っても、振り返っても、振り返っても「上手く行ったとは思えない」と反省と改善点ばかりが目につくので、心が安らぐことなんてありません。

人生のすべての行動に対して「これで良かったんだ」じゃなくて「あんなもんで良かったのか?」としか思いません。

行動する前に熟考するので「あの時こうしておけば…」と後悔することは少ないのですが、それでも「本当にあれで良かったのか?」の脳内反省会は繰り返します。

そう言えば、過去に師事して頂いてた作家の方が「自分が作った過去の作品が重荷になる」みたいなことをおっしゃってたのですが、あの感覚かもしれません。

記事を書いて誰かに読まれた以上、もう本当にそれが重荷にしかならんのです。

私の場合、半分ぐらいは自分の意志を手放して書いてしまっている部分もあるので、残りの半分の自分が管理・制御している感覚です。

なので、自分で書いたことに対して「あれ別にそういう意図でも本心でもないけど…」という感じなのですが、それに関しても「勝手に解釈してもらえればいいや…」という諦めに似た感情もあります。

それでも、やはり「あれじゃいけない」という反省も捨て切れないのです。

それがなぜかと言われれば、多分「過去の全人類越えたいから」ぐらいの理由しかないと思います。

そういう意味で「原点にして頂点」と題しているのです。

※ちなみにGoogleの進化性アルゴリズムを考慮すると、完全に利害が一致してしまったので、過去を越え続けて検索の歴史を更新し続ける悪夢に現在進行系で付き合わされている…という認識です。

信じていた正義に今日もとらわれる

 あなたの「原点思考」の才能は、必ずしも「過去に生きる」ということではない点を覚えておいてください。

これは本当に致命的な欠点です。

実際、私がニート時代には「どうやったら過去の失敗(経歴の空白)を取り戻せるか?」としか考えていませんでしたから。

まあ、今は結果論的に「あの頃があったから今の自分がある」などとほざける程度には気楽になりましたが、それでも「あの時期のクソみたいな検索結果や人材会社のクソっぷり、ブラック企業がはびこっていた情勢さえなけりゃ…」みたいな稚拙な復讐心だけが仕事のモチベーションだったりもします。

あとは、古き良きネットのアングラ文化の趣が高度にビジネス化したWEB界隈から失われつつあることに対する怒りもあります。

「2chでの殴り合いも炎上祭も鮫島事件も節穴さんも経験してない三流ザコライターどもが、クソつまらねえ記事ぶちあげてんじゃねえぞ、コラ」

このように、私がブログ運営している大半の動機は私怨や復讐心が由来であって、成功しているブロガー様やインフルエンサー様みたいに「やりたいことを仕事に!」「世界を変えてみせる!」なんて立派な動機はありません。

むしろ、逆です。

「てめぇらの薄っぺらい自己啓発ポエムで動かせる歴史があると思うなよ?人類の歴史の闇は深いぞ?」

これ以上の動機はありません。

あなたが生まれながら持っている原点思考の感覚は、過去の考え方の中でも、切り捨てることのできるものと、継続的な未来を築くために必要なものを明確に見分けることができます。

何もかもネットの記憶で見たものと同じなんだ…

(c)進撃の巨人 講談社

原点思考の致命的弱点は「すべてが計画通りないし想定内なので、何にも感動できない」という点でしょうか。

その理由としては単純で将来・未来に何の希望も持っていないからです。

実際、世の99%以上の事象が「どっかで見たことのある光景だ」としか思わないので(ないし、脳内でパターン化処理するので”新発見”にはなり得ない)、未来や将来に対しては1ミリたりとも期待してません。

たとえば、誰かが書いた渾身のブログ記事を読んでみても「あ~それ、過去に〇〇がやってたパターンで、類型パターンとしてはあのマンガのあのキャラ…」という感じで、まったく新鮮味を感じないわけですよ。

もちろん、それは自分自身にも適用されるので、書いてても「つまんね」という感想しかないです。(データ見れば「自分ではクソだと思ってるけど需要があるもの」は特定できるので調整可能なのはありがたいですが)

もし仮に私が上手く行って成功しているのであれば、それは単に先人が切り開いた道やそこに至るまでの膨大な試行錯誤があったおかげであり、私自身は何一つ新しいことに挑戦していません。

結局、自分自身だけが抱えていたと思った悩みも体験も、フタを開けてみれば同じような経験をした人間ばかりで、何も特別じゃないんですよ。

で「どこからが自分自身の感情で、自分自身の体験で、自分自身が紡ぎ出した言葉か?」がわからなくなってきます。

多分、どれも自分自身のものではないのだと思います。

原点に思考するというのは、自分自身の感情や経験すらも歴史に還元するということを意味します。

ですので、その過程で自分は死にます。というか殺します。歴史の一部に葬り去ります。

ちなみに「原点思考」の最良のパートナーは「未来志向」だとされているのも、まず間違いなくこの性質でしょう。

「未来志向」や「戦略性」の才能の高い人とパートナーになります。 彼らの、未来の可能性に対する強い興味は、あなたが過去に埋没してしまうことを防いでくれ、あなたの「原点思考」に対する深い理解は、彼らが過去から得た教訓を見落としてしまうことを防ぎます。

※「戦略性」について私自身で補完しているので、まだどうにか出来ます。

存在と時間に埋もれてしまった原点思考の止まっていた時を動かせるのは、未来を志向する他の誰かです。

やがて来る日にも、同じ道をまた通るだろうか…

原点思考の私は過去にとらわれていない間は楽観的なのですが、それはおそらく「誰にも、未来にも、将来にも期待していないから」です。

しかしながら「盛者必衰」という言葉が意味する通り、栄えあるものは必ず衰えますし、上手く行き続ける人生はまずありません。

そう考えた時に、本当に自分が落ちた時に必要なものは、資金でも知識でも経歴でもなく、もっと大事なものがあるのではないか?…と思うのです。

それにはとんでもなく不確定要素が含まれます。

そして歴史上、落ちぶれた人間の敗因を分析していった時に、落ちていく人間にはおおむね同じような原因が観測されます。

それを踏まえると、どうにも私が取るべき選択肢は「成功する方法」でも「有名になるための方法」でも「短期で利益を上げてセミリタイアする方法」でも「周りにイエスマン(信者)を集めてヨイショさせる方法」でもないみたいなので、これが本当に頭の痛い問題なのです。

ただ、自分が「そうじゃない人間だと言える根拠」はまったくありません。

回りくどくなりましたね。

「あいつみたいになりたくない」などと言っておきながら、結局は自分自身がそこに堕ちていく…なんて光景は嫌というほど見てきました。

そういう人ほど、なぜか「自分は違う、あいつみたいにはならない」と意地になる。

「自分だけは違う!特別だ!」なんて思った時点で、あとはそこから落ちていくだけのゲームの始まりです。

そう考えると、私はやはり自分自身を歴史と匿名の闇に葬り去り続けたいのです。

何者にもなれない何者かとして、確かに存在し続ける闇として。