「生き方」~生きる意味を探り出す~ 選択肢の多様化した現代社会であなたはどう生きる?

編集長
スコシテン編集長です

唐突ですが、みなさまは「生きる意味」と出会えていますでしょうか?

諦観した大人は言います。

「人生なんてそんなものだ…」
「生きる意味なんてないよ」
「そういう時代に生まれついちゃったんからしょうがない」

それもまた、ひとつの答えかもしれません。

ですが、私はあえて言いたいのです。

生きる意味ぐらい、死ぬ気で見つけ出せ!

自分の「生きる意味」も見い出せない人が「命が大事」だの「人生は素晴らしい」だの、言う権利はない。

私はどんな人生を送ろうが、これだけは決めている目標があります。

人生の最期の最期、死ぬ瞬間まで「生きる意味」を果たしたい。

なぜ、そう思うのか?

答えはカンタンです。

生きる意味があったほうが、人生はおもしろいから。

今回は私が「生きる意味」を探すにあたって、参考にしている文献や情報、あるいは先人たちの知恵をご紹介していきます。

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「生きるなんてどうせくだらない」

私が生きる意味を考えるにあたって、まず大前提にしているのは「この人の人生はなんだったんだろうな?」というほど、悲惨な人生を送った事例をしかと胸に焼き付けることです。

まあ、良識人の言うところの「生きていることに感謝しよう」ってヤツのためですね。

「生きるなんてどうせくだらない」

そう言い残したこの世を去った、才気あふれる漫画家がいました。

その漫画家の名前は「山田花子」。

彼女は学生時代いじめにあい高校中退後、漫画家になるも連載は打ち切り。

マイナー誌「ガロ」でかろうじて連載をするも、生計を立てられずバイトも並行。

しかし、そのバイトでウェイトレスをするも、要領が悪く一度に注文を覚えられず、何度もクビに。

今で言えば「ADHD(発達障害)」に見られる傾向ですね。

その後精神分裂病を来たし、自殺することとなりました。

そんな彼女が残した言葉が「生きるなんてどうせくだらない」です。

生きることは本当にくだらないし、大した意味もない

私はこの「生きるなんてどうせくだらない」という言葉もまた、世の一つの真実だと考えて強く胸に刻み込んでいます。

彼女の人生は決して幸せとは言い難いものだったかもしれませんが、今こうして私たちに「生きるなんてどうせくだらない」とメッセージを、残し続けています。

それこそが”彼女の生きる意味”だったのかもしれません。

なんの使命も持たず、流し流され「生きる意味なんてないよ」と平凡に死んでいく人間よりは、よっぽど大きな意義を我々に残し続けています。

実際、生きることなんてくだらないんですよ。

それはもう、歴史が教えれくれる、紛れもない事実です。

  • 独裁者の都合で大虐殺された民(ホロコーストポルポトのアレ、など)
  • たまたま通り魔に殺される善良な市民
  • 親の勝手な都合で殺される自我が芽生える前の幼児
  • 大災害で無慈悲に死んでいく一般市民

このような例を見ていくと、必死で積み上げてきた大切なものも、歴史の大局・自然現象、あるいは個人の勝手な都合で奪われていくんです。

その一つの一つの命に意味があったかというと、多くの方は「ない」と答えるでしょうし、歴史や近代犯罪史を見ても「殺されるために生きてきた」みたいな人もいますよ。

自分がそうならない保証なんてどこにもありませんし、あるいは何かの歯車が狂えば加害者にだってなり得ます。

そう。

生きることなんて本当にくだらないし、大した意味もないんですよ。

…と悲観的になって真剣に「自分に生きる意味なんてあるのか?」と必死に考えなければ、生きる意味なんて見いだせません。

自分の命が無価値で無意味で、自分の努力や意志に関係なく失われる事実を強く刻みつけて初めて「生きる意味」を見つけるためのスタートラインに立てるのです。

あなたはどう生きる?

前置きが長くなりましたね。

何が言いたかったのかというと「生きる意味がない」とか、そんな言い訳はもう聞き飽きたということですね。

世の大人たちに言いたい。

ウソでもいいから、自分の使命ぐらい言ってくれよ。

「自分の生まれた意味」も言ってのけられないから、いつまで経っても人生はつまんないままなんだ。

ただし「生きる意味」を探し続けているなら話は別。

悩み続ければ、必ず答えは見つかる。

…私が生きる意味?

そりゃあ、今この瞬間あなたに「読んでもらうため」ですよ。

生きることなんてくだらないかもしれませんし、大した意味もありません。

なら、話はカンタン。

んなもん、自分で作り出せばいいだけっすよ。

現代人が生きるための”ヒント”

「なんのために生きるのか?」

これは人が人である限り、切っても切り離せない至上命題だと言ってもいいでしょう。

人類史においても、多くの人が悩み続けたテーマであり、そこには無数のヒントが隠されています。

人間とは考える葦(あし)である

出典:ブレーズ・パスカル

つまり、考えない奴はただの「葦」だということですね。

参考画像「葦」

何の為に生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのは嫌だ!

出典:アンパンマンのテーマ

「アンパンマン」は日本人なら幼少時から慣れ親しんでいるアニメですが、多くの国民が大人になって「なんのために生まれたのか」すら答えられないのは、作品のテーマを理解できていない人が多いという、悲しい事実でしょう。

「金のため」「生活のため」「家族のため」というステップはもう終わりつつある

なぜ、私がこれだけ読者に「生きる意味」について語りかけているのか?

答えはカンタンです。

私たち現代の日本人は”生きる意味”を見出さなければならない時代に突入したからです。

つまり「生きる意味」を見つけることこそが、そもそもの生きる意味なのです。

これは先進国であるアメリカ、それも1930年代という約90年以上も前に、心理学者であるアブラハム・マズローが「自己実現理論」としてすでに提唱していました。

・マズローの自己実現理論の5段階欲求

  1. 生理の欲求(食べる、寝る、住まいなど)
  2. 安全の欲求(社会的地位、職業、安心・安全、貯金・給料など)
  3. 社会欲求と愛の欲求(人とのつながり、親密さ、関係性など)
  4. 自己承認の欲求(自信、達成感、名声、技術、知識など)
  5. 自己実現の欲求(創造性、自己価値、自立性、哲学性など)

この理論は、現代の日本の働き方=ワークライフバランス憲章における「社会とのつながり」「自己肯定感(やり甲斐)」「自己実現」に通ずるところもありますよね。

ところが、高度経済成長期の時代に生きた人の考えは「3.社会欲求と愛の欲求」で、止まっているのです。

よく言われる「マイホームを持って幸せな家庭を持ち、子供を作って、老後まで安泰して暮らす…」なんていう、主体性のない夢などはその最たる例でしょう。

現代を生きる日本人は”その先”へ進まなければ行けない段階に来ているわけです。

そのためには「生きる意味」を探し続けることは必須であり、多くの人が「自分はなんのために生きているのか?」と悩むことは、むしろ時代の流れとしては必然だと言えるのです。

”永遠の闇”に挑み続けた哲学家たち

哲学的に言えば「生きる意味=永遠の闇」です。

なぜなら、正解はないから。

そして、その永遠の闇に無謀にも挑戦し続けた勇敢な英雄を、人は「哲学家」と名付けました。

答えなど出るはずもない「人間の存在意義」を哲学家は思索し続け、今も答えの出ない永遠の闇に迫り続けています。

なぜ、そのような不毛な議論を繰り返し続けるのか?

それは、あなたが今「なぜ、自分は生きているのか?」と悩んでいるのと同じです。

人は答えが欲しくて欲しくてしょうがないんですよ。

それを哲学家は果敢に「人類とはなぜ存在するのか?」と考え続けている。
そして、著名な哲学家が大作を発表する度に狂喜乱舞する。
そう、みんな「自分たちが存在する意味」を欲している。

哲学は”永遠の闇”に迫る、世界で最も無意味で有意義な学問です。

答えは与えてくれなくても、真理に行き着くヒントはくれるかもしれません。

なぜなら、あなた自身が考えに考え抜いた答えであれば、それは紛れもなく正しいものだからです。

宗教を侮ることなかれ

生き方の指針にもっとも有効なのが「宗教」でしょう。

私は無神論者ではありますが、各宗教のいいところは見習うという、実に日本人的捉え方で学んでいます。

とくに近代史において「ユダヤ教」の教えは、実に合理的な宗教として学ぶところが多く感じます。

「ユダヤ教」および「ヘブライ経典」を理解することは時間がかかりますが、例えばユダヤ教の「厳しい食事規制」「安息日の遵守」には「人間の生きる目的は”美味しいものを食べることではない”」「仕事だけが生きる目的ではない」という教えが隠されています。

この教えを忠実に守り、現代で多くのユダヤ人が成功者として大成している事実は見逃せないことでしょう。詳しくは「ユダヤ知的創造のルーツ」という本にてわかりやすくまとめられてあります。

また、日本人が宗教を考える上で無視できないのが「儒教」です。日本人は無宗教国家だと思われがちですが、モラルやマナーの多くは儒教精神がルーツにあります。

儒教精神でとくに日本人に根付いていると言えるのが「五常の教え」ですね。

・儒教の五常の教え

仁…人を思いやること
義…私欲にとらわれず、なすべきをなすこと
礼…「仁」を具体的行動として表したもの
智…道理を知っていること、知識豊富であること
信…正直であること、約束を守ること

多くの日本人が無意識に守っていることですが、ルーツや教義も知らぬまま守っているため「形だけ」となっているものも多く存在します。形骸化した「マナー」などが最たる例でしょう。

この「五常」に異を唱えているのが、伊達政宗の教訓です。

仁に過ぎれば弱くなる。
義に過ぎれば固くなる。
礼に過ぎればへつらいとなる。
智に過ぎれば嘘をつく。
信に過ぎれば損をする。

出典:「伊達政宗五常訓

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こういった考え方を見ればわかりますが、私たちは無意識のうちに「誰かの考え方」にとらわれていることを忘れてはいけません

その意味でも、人々の生きる指針、あるいは法治用の”詭弁”として用いられてきた「宗教」を理解しておくことは、重要だと言えるでしょう。

「生きる意味を見つける」ということは、他人の支配・呪縛から逃れ「考える自由」を獲得することだとも言えるのです。

歴史から学ぶ

生きる意味を見つけ出すためには、歴史を参考にすることが有効です。哲学と宗教も広義には”歴史の一部”に含まれますね。

なぜ、歴史が生きる意味を見出すために有効か?

答えはすぐにわかりますよね。

今まで何億何兆という人たちが実生活から絞り出してきた”生きる知恵”が濃縮されているからです。

「三人寄れば文殊の知恵」ということわざもありますが、たった1人で生きる意味を見出すよりも、先人たちの集合知を拝借したほうが、答えは見つかりやすくなることは想像に難くないことでしょう。

かのドイツの鉄血宰相オットー・フォン・ビスマルクも「愚者は経験から学ぶが、賢者は歴史から学ぶ」という至言を残しています。

たった1人の経験から導き出される結論よりも、過去の先人や賢者から学ぶほうが、何千倍何億倍もの”知恵”を拝借することができるのです。

「生き方」ぐらい自分で見つけ出そう

もしこの記事を読んで「自分の生き方が見つかるかも…」と期待していた方。

残念。何一つ答えは書いてません。

なぜなら、生き方は自分で見つけ出さなければいけないからです。

今やGoogleでカンタンに答えが見つかる時代になりましたし、SNSで似たような考えの人や憧れの人間から「答えらしきもの」も引き出せる時代になりました。

しかし、本当の答えは自分で見つけ出さなければならないのです。

~生きる意味を探り出す~」など、大層なタイトルをつけたのもそういう意図があってのことです。

私がなぜこのブログで更新を続けるか?

それは「生きる意味を探し出す」と同時に、それ自体が「生きる意味を為している」からでもあります。

名前も知らない、顔も知らない、読まれているかもわからない。

そんな相手に文章書き綴り続けることが、今の私の使命です。

そして、私は誰かに「読みました!」「いいね!」「あなたのおかげで人生が変わりました」などの言葉をもらいたいとは微塵も思っていません。

なぜなら、私はしょせんは”きっかけ”でしかないからです。

当サイトには営利上の理由で転職広告なども掲載しておりますが、それもすべてはあくまで誰かに「より良い生き方」を見つけてもらうための”きっかけ”でしかありません。

同じ時代を生きる仲間、あるいは敵として、共に死ぬまで「生き方」を探し出しましょう。