「根拠のない自信を持ちたい!」
そう考えている方は、意外と多いと思います。
私なども大して自信のない控えめで謙虚な人間ではありますが、仕事では「自信がない奴は他人からも信用されない」など、めんどくせー事情もあるので、建前上「自信満々」というスタンスでいさせてもらってます。
こう書けばわかりますが「自身を持つしかない」のです。
…がまあ、そこまでメンタル調整するには、色々と時間がかかりますし、知識も経験も必要です。
ま、ちまたのサイトでは「自己肯定感を高めよう!」とか「成功経験を積もう!」とか書いているが、それが出来れば誰も苦労しないっつうの。
では、どうすれば根拠のない自信を持てるのか?
答えは簡単です。
あなたの自信を奪う、すべての固定観念をぶち殺していけばいいだけです。
私は哲学的論法ですべての固定観念と思い込みをぶち殺すことで「根拠のない自信を持つ合理理性」を獲得しました。
これは「文字を読むだけで、誰でも実践可能」です。
もくじ
自信は経験がないと身につかない
まず「自信」の定義ですが、多くの人は経験を積んで身につけていきます。
ま、たとえば「恋愛経験したことがあるから、自分はモテる!」とか「数年間勤務したから、この仕事は出来る!」とか、これが一般的に「根拠のある自信」と言われます。
ですが、これには欠点があって「自分が経験したことに対してしか、自信が持てない」のであります。
そういう根拠のある自信を持つ人が、いきなり何も持たされずに無人島に投げ出されたらどうなるでしょうか?
「自信がない」という理由で動物相手に戦うことすら出来ずに、飢え死んでおしまいです。
一方で、根拠のない自信がある人は「オレならサバイバル生活でも生きていけるだろう!」と、果敢に野生の動物にあらゆる策を使って勝利し、生存することが出来ます。
もちろん、負ければ死にますが、何もしないで死を待つよりかはずっとマシです。
これを現実で例えてみましょうか。
社会経験のない学生が「根拠のある自信」しか持ってはいけないのであれば、会社で働いたことのない学生は全員自信を持ってはいけないことになります。
…が、実際はどうでしょうか?
根拠のない自信を持って「自分ならこの会社を担う人材になれます!」としょぼい学生時代の成果持ち出してアピール出来る学生の方が、採用される確率は上です。
経験が伴わない若いうちは、根拠のない自信を持って挑戦していけばいいのです。
「何もしない」よりも、ずっとマシです。
よって、人生経験がない若者は自信なんかなくて当たり前で「根拠のない自信」を持つしかないのである。
Q.E.D.証明終了
勝つ気で戦略を練らないと、まず勝てない
人生とは「勝負」です。
あらゆる逆境や困難に立ち向かい、時には他人を蹴落としたり、嫌な上司と一戦交えなければならぬこともあります。
であれば、勝つ気で挑まなければ、勝てる戦いも勝てません。
最初から「無理…」「絶対に負ける」なんて戦いもしないで逃げるよりは、やることやって負けたほうがずっとマシです。
少なからず、勝つための戦略を練って負けるのと、最初から負ける気で挑んで負けるのでは、得られる経験値も変わってきます。
なんなら「どうせ負ける…」とわかっていても、相手に一発かまして致命傷与えて負けておけば、今度は他の誰かが相手を負かしてくれるかもしれません。
事実、神風特攻隊の「無意味な死」も、我々が戒めとして記憶に残すことで「意味ある死」に昇華されているのであります。
最初から最後まで勝つ気でやれば、負け続けても勝機は見えてくるのです。
体が動かなくなれば目だけでも睨みつけてやればいいし、口で罵ることも出来る。頭だけ動けば相手に噛みつくことも可能。
どんなに形成不利に見えても、勝つ気さえあれば勝つチャンスはあるのです。
一方で「負けてもいいや…」というナメた態度で生きている奴は、五体満足でも一生何かに勝つこともなく、負けっぱなしで死んでいきます。
よって、勝つこと前提で戦略(人生設計)を組めない人間は、勝ち目すら見えないで死んでいくのである。
Q.E.D.証明終了
失敗など存在しない
根拠のない自信を持てない人は、失敗を恐れています。
この世に、失敗など何一つ、ありません。
人類の歴史は失敗の歴史でもありますが、過ちを犯す度に誰かがその尻ぬぐいをし、何度も何度も立ち上がってきました。
そのことからわかることは「すべての失敗は、人を成長させる」ということです。
別にあなたの人生が大失敗であるのであれば、今度は誰かに何か託せばいい。
そして、どうしても失敗が怖いのであれば「ありとあらゆる失敗を想定して、失敗してもいいように挑戦すればいい」だけです。
バカのひとつ覚えで「全部捨てて、人生賭けて挑戦だ!」と意気込むから、失敗を恐れるのです。
失敗したら一度逃げて、体制を立て直せばいいだけの話です。
また、失敗して責任を追求されたり非難されれば「次は成功する。今に見てろ!」と一言返してやればいいだけです。
考えてもみてくださいよ?
何度も失敗して、それでも立ち向かってくる人間、敵からすれば「狂気」そのものです。
相手が「わかった、もうやめてくれ」と折れるまで、失敗し続ければいいだけです。
よって、失敗すること自体、計画の中に入れてしまえば、人生自体に失敗という概念が存在しなくなるのである。
ホリエモンの言うところの「想定の範囲内」ってヤツね。
Q.E.D.証明終了
他者評価を一切気にしない
根拠のない自信は、すべて自分の中から生まれるものですので、他者評価とは一致しません。
時にはうざがられることもあります。
しかし、冷静に考えてみてください?
他社評価など、ノミのクソ以下にも役に立ちません。
以下のように考えてみてください。
「ほーん。で、お前の言う通りにやって失敗したら、お前責任とってくれるの?」
「ふーん、それでお前の言うとおりにやったら金くれるの?」
「へえ、じゃあお前の元で修行がてら働いてやるから、一人前にしてよ」
これで「よし、やってやる!」と即答出来ない人間は、自分の発言に責任持つ気ゼロの人間ばかりなので、無視してOKです。
外野からアレコレ好き勝手言うのは誰でも出来ますが、根拠のない自信を持ってコトにあたるのは、責任も痛みも伴います。
よって、他者評価なんて気にする必要などまるでなく、自分を信じるしかないのである。
Q.E.D.証明終了
ま、極論「根拠のない自信を持つやつがうざい」とか「経験もないのにエラソーに」など抜かしてくる輩がいたら、そいつら全員物理的にブチのめして「私のほうが強いだろ?」と発言訂正させればOKです。人間、殴り続ければ簡単に死にますから。
ですが、戦う相手を間違えてはいけません。
関連:「戦わない・争わない」という選択肢を見つけ出すための考え方
根拠は捏造すればいい
そもそも「根拠のない自信」とは言いますが、根拠はあります。
「自分が自信がないのであれば、他人も信じられないし、何一つやる気が湧かない。よって自信を持つしかない」
これが根拠です。
ところが、自分の経験しか信じられないような凡人は、このような合理的でスマートな考えを根拠に自信を持つことしか出来ません。
別に、考え方としては様々で「自信がないとチャンスも訪れない」とか「自信がなければ、強くなれない」など、目的遂行のために「自信を持たざるを得ない」とこまで、思考を追い詰めればいいのです。
もっとわかりやすく言えば、あなたが生活に追い詰められて、他人から無理に仕事をぶんどらなければ食えない状態だとしましょう。
「自信がない…」なんて言っている暇なんかなく「ヤるしかない」なので、必然的に自信が生まれてきます。
それと同じことで「明日、自分は死ぬ」と思えば、勝手に自信などみなぎってくるのです。
このように、根拠など捏造してしまえばいいのである。
「根拠のない自信」は極めて合理的でスマート
以上のように、少し視点を変えて考えれば「根拠のない自信を持つことは、極めて合理的でスマートな選択肢である」ということが、おわかりいただけたかと思います。
一方で、根拠のない自信すら持てない人は、根拠のある自信を持つための経験さえないため、行動できずに、最後には他人を信じることしか出来ない人間になっていくのです。
よく宗教や悪徳ビジネスで騙されて愚痴を言っている人間がいますが、あれも「自分を信じられず、他人を信じすぎたせいで痛い目にあった」類の人間です。
世の中、裏切り上等、騙し合いの世界です。
最後に信じられるのは自分だけです。
根拠があろうがなかろうが、他人を信じ過ぎるわけにも行かない以上、自分を信じるしかないのです。