「苦労を知らない」という奴らが社会の害である理由をとことんあぶり出す。苦労の代わりに苦悩し続けているオレの言葉を聞け!

いるんですよ。

「苦労を知らない」なんて、自分の経験を美化するやつ。

これを言うやつは、だいたい自分のコンプレックスに酔っているだけですね。

そもそも、戦後の日本は急激な経済成長を国民一丸となって作り上げてきたわけですが、その目的は「未来の世代に苦労させたくない」という一心で、進められてきたわけです。

その結果、生まれてきた子どもたちに「最近の子は苦労を知らない」などと、ギャグみたいなことを言っているのですから、もはや失笑モノですね。

なぜ自分たちで掘った穴を、自分たちで埋めたがるのか、不思議でたまりません。

「苦労を知らない」という言い訳の本質

「苦労を知らない」なんて言う言葉が出てくるのは、要は「苦労の先」にある日本の在り方を、老人どもが何も考えていなかったから出て来る言葉なんですよ。

進めるだけ進めて、途中で放置した奴らの、自分勝手な言い分です。

私から言わせれば、お前らは「自分たちが経験してきた苦労しか知らない」と言ってやりたいですね。

さて、お怒りの読者もいますが、本来、経験=記憶=情報には正義も悪も、正しいも間違いもありません。

もし「苦労を知らない」という言葉の反論に、苛立ちを覚える方がいるのでしたら、それすなわち「自分の苦労を正当化したい」と自己肯定しているわけですからね。

まあ、報われない努力ほど虚しいものもないので、致し方ありませんね。

ゆとり世代が本当に意味していたものは?

私は、ゆとり教育は成功だと思っています。

なぜなら、先人たちの苦労の甲斐もあって、私は苦労せず「苦悩」できたわけですから。

おそらく、ゆとり教育を提唱・実践した当時の政治家の意図も、そこにあったのだと思います。

それを物事の一面だけを見て「ゆとり教育は失敗だ!」なんて言っているのは、まさに本質を理解できないバカの言い分です。

”苦悩も知らない”で、誰かに言われる通りにしか動いてこなかった一億総白痴化計画の被害者が、ゆとり教育の本来の目的を達成できるはずもありませんからね。

お前らは白痴だ。

失礼。

つい本音が出てしまいました。

つまり、何が言いたいかというと、

私たちゆとり世代は、先人たちの苦労の甲斐もあって、苦悩し続けることが出来るようになったわけです。

この本質を理解できていない老人どもは、さっさとステージから降りてください。

悩まなくなったとき、人の成長は永遠に止まります。

すなわち、バブル崩壊後=経済成長の止まった今の日本の問題の根源は、苦悩を知らずに苦労ばかりし続けた白痴たちが、バブル期の幻影にとり憑かれ続けて、思考停止で勝手に”苦労”していることが原因だと言いたいのです。

ゆとり世代が戦ってきた「苦悩の種」

さて、ニュータイプともいうべきゆとり世代は、苦労が美徳だと感じて生きている一億総白痴化計画の被害者共の洗脳と、常に戦い続けていました。

まず、マスコミから連日流れる暗いニュースには、夢も希望もありません。

そして、大人たちは何かにとり憑かれたように、必死になって働き続けています。

もはや、狂気の沙汰です。

バブル崩壊の前の日本の映像をよく見ますが、呑気に踊っている当時の若者を見ると、虫唾が走ります。頭に何も詰まってなさそうな連中が、陽気に踊り狂っているわけです。今も頭のなかは踊るチンチクリンなんじゃないでしょうか、当時の若者は。

話が逸れました。

私たちゆとり世代は、なんの指標も目標も夢も希望もない社会情勢の中で、必死に苦悩しながら生きる道を探さなければならなかったわけです。

お前らにこの苦悩がわかるか?

オレはてめえらの何百倍も悩んで悩んで悩み続けたんだぞ?

失礼。つい熱くなってしまいました。

もちろん、途中で悩むのをやめ、誰かに言われる通りに生きるのが、もっとも楽な選択肢であることは、わかりきっていました。

しかし、苦悩も知らない大人たちのいいなりになってしまった瞬間、私の心は死んでしまうこともわかりきっていましたからね。

なにせ、直観と現実がまるで一致しないのですからね。

これは、現象学でいうところの”本質直観”が「社会の正当性は証明できない」という論理を理解すればわかりますね。社会はあくまで妥協案であり、常に変わり続けていくものなのですからね。

苦悩も知らない大人たちのアホっぷり

苦悩というのは、経済成長が頭打ちになった段階で、発生するものです。

まあ「ピーターパン症候群」といった、資本主義社会の中流階級で発生する症状などの例をみればわかりやすいでしょう。

ガンダムのアムロ・レイなんかも典型的な例ですね。70年台のアニメからすでに、経済成長発展の先には「苦悩」を抱える子供の出現は予言されていたわけです。

今言われているADHDやらのいわゆる「子供っぽい」と表される精神性は、必然的に起こるものなわけですね。

著名な哲学者がすべからく高等遊民なのも、要は考える暇があったからこそ生まれた、形而上学…思考遊びですね。哲学や形而上学は、苦悩し続けた分だけ、解釈が無数に生まれる、素晴らしき学問ですからね。

バブルが崩壊した段階で、我々は「苦労」ではなく「苦悩」するステージに突入したわけなのですが、未だにそんな簡単なことに気づけない頭が化石のように固まってしまった大人も、実に多いわけです。

そんなアホな白痴共が、既得権益を貪り、まるで親の遺産を食いつぶすニートのごとく実権を握っているわけですから、そりゃあ経済発展もせいぜい保守止まりで当然です。

若者よ!苦悩し続けろ!

まあ、とくに主張らしい主張もないんですけどね。

しかし、確実に言えることは、私たちは苦悩し続ける段階に突入し続けたわけです。

「苦労しろ!」だなんて言っている奴らは、戦前レベルまで経済水準落としたいだけのバカなので、耳を貸す必要はありません。

悩んで悩んで悩み抜くことで、私たちは新しい時代を作り上げていくことができます。

私と同じ時代の苦悩を友にするジョブス信者の友人が「世の9割はスティーブ・ジョブズをまるで理解できていない。凡人が成功できない理由」などと面白い記事を書いてくれたんですが、

考えて考えて考え抜くことで、考える必要のない境地

に、たどり着けるそうです。

それはすなわち、

天才

と呼ばれる類の人間でしょう。

つまり、苦悩することで、私たちは天才に近づける時代に到達したわけです。

これについては、当サイトに寄稿された「デザイナーの転職にセンスは必要か?クリエイターが「センス」を磨き上げる方法とは?」という記事にも似たようなことが書かれています。

試行錯誤する中でどんどん自分の中でルールが作られていき、その人が書けば一目でわかるオリジナリティと個性あふれる絵が生み出せる

苦悩し続けることで、傍目から見れば「天才」と思われる仕事も出来るようになるわけです。

「天才一瞬は、凡才の一生に勝る」という格言もありますが、私たちは苦悩し続けることで、その境地に達するわけです。

そうなれば、苦労しか知らない人間の一生に勝る一瞬を生み出せるようになってくるわけですね。

「天才になれ」と言っているのではありません。

悩むことを途中でやめなければ、天才同様の境地まで達することができるという、事実を話しているだけです。

今の環境や現実に満足せず、ひたすら悩みに悩み抜いてください。

今は「苦労」ではなく「苦悩」すべき時代です。

世の中には、二種類の人間しかいません。

ルールを作り出せる人と、ルールに従う人間です。

自分の道標もない人間は、苦労するしか道はありません。

苦労するか、苦悩するか。

それは自分で決めましょう。