「前に進むのが怖い…」
「自分だけ周りから取り残されているように感じる…」
そう悩むことは、人生においては何度かあると思う。
当サイトのメインテーマである「転職」や「結婚」から、仕事で新しいことに挑戦したり、あるいはちょっと高い買い物をしたり…。
「進んだ結果、自分が変わってしまうかも…」
人生の岐路は、誰にでもあるはず。
そして、そのような決断を迫られたとき、多くの人は誰にも相談できず、あるいは相談してもなかなか周りからの理解を得られず、余計に悩むことになる。
なぜなら…。
先のことなんて誰にもわからないし、決断した後の責任は自分で背負わなければいけないから。
選んだ結果が正解であれ、後悔の残るものであれ、進んだ以上はもう引き返せない。
正直、誰もあなたの選択には一切責任を持てない。
ただ一つだけ言えることは「進んだ結果、何かが変わる」ことは間違いない。
結果が天国か地獄かは、神のみぞ知る。
進むのが嫌な筆者の話
個人的な話をすると筆者は「進むのが心底、嫌」になっている。
…正確に言うと「自分では進んだ気でいても、本当に進んでいるかどうかすらわからない」という状態。
収入が増えて、知識も増えて、技術も上がった。
ただ、成長している実感も、やり甲斐も、充実感も、何もない。
本 当 に 進 ん で い る の か さ え わ か ら な い 。
今、自分がどれぐらいの位置にいて、あとどれだけ進めば楽になれるか、まったくと言っていいほど検討もつかない。
ハッキリ言って、進むことを止めることも出来るし、全部投げ捨てて逃げることだって出来る。
もっと、有り体に言うと「進む理由も目的も大義もない」という状態。
「あとどれだけ仕事すれば、楽になれるんだ…?」
…教えてくれ、Googleよ。
オレはあと何億文字打ち込めば、書く苦しみから逃れられる?
「真面目に勉強していれば幸せになれる」とクソ真面目な顔で大ウソついてたTeacher、お前はそんな人生で幸せか?
「早く親を楽にしてくれ」と自分の都合を押し付けてることに無自覚な親たちよ、お前ら全員を高級介護施設にぶち込むために、オレ達若者はどんな地獄を歩めばいい?
―――進み続けたって、まったく「楽になれる」未来なんか見えないじゃないか。
進み続けたって、結局「何も変わらない」じゃないか
進み続けたって、結局は「何も変わらない」ということがわかってきた。
口座の残高は増えたさ。
でも「金のありがたみ」ってヤツは、まったくと言っていいほどわからない。
金払って美味しい物を食べたって、その後の空虚感の方が勝る。
ちょっといい服着てブランド物買ってSNSで自慢しても、虚しさしかない。
…で、日本人が大好きな「幸せな家庭」「マイホーム持ち」「老後安泰のため」とやらを実現するためには、あとどれだけ稼げばいい?
サラリーマンの平均生涯年収が2億5000万円だから、その数字か?
あるいは都内の一等地マンションで「いい暮らし」とやらを満喫するために、さらにその数倍か?
いや、金だけ稼いでもそれだけじゃダメなら、もっと上を目指さないといけないのか?
それこそ、一流企業の社長や役員レベルの、誰もが羨む、それでいて挑戦する気さえ失せるぐらいの高みか?
…進めば進むほど勝てない相手、もっと上の敵ばかりが見えてくる。
そして、世間はいつも自分勝手だから、他人に「もっと上を目指せ」と自分も出来もしないことを他人に押し付けてくる。
進んだら進んだで、今度は次の地獄が待っているだけじゃないか。
「若いうちに苦労して、後は楽に過ごす」なんてのは、飛んだペテン師の言い分みたいだ。
仕事をこなせばこなすほど次の仕事が増えるし、課題や問題が増えてくる。
知れば知るほど、自分の無知っぷりに落胆する。
そして拍車をかけるのは、自分が進んでいるスピード以上に世の中も周りも変化していくことだ。
まるで決して到達し得ないゴールを目指して、走り続けているようなものだ。
資本主義の無限成長、人間の無限の可能性というヤツは、どうやら終わることのない無限の苦しみとのトレードオフらしい。
勝利も敗北もないまま孤独なレースは続いてく
by Tomorrow never knows/Mr.Children
「もう、進むのは嫌だよ…」
時折、進むことをやめて、すべて投げ捨てたくなる。
…いや、投げ捨てて立ち止まったことは何度もある。
そこでわかるのは「自分なんかいなくても、手を止めたとしても、何も変わらない」という恐るべき事実だ。
一度、すべて投げ捨てて止まったことがある人なら、わかると思う。
学校を無断欠席しても、せいぜい親や教師に半ば義務感で「なんで休んだの?」と説教されたり、同級生に「昨日はどうしたの?」と心配されているフリされるだけだ。
最初の数回なら、まだいい。
それが板につくと、まるで自分の存在などないかのようになっていく。
そうしていくうちに、ふと気づく。
「…なんだ。別に自分なんかいなくても、世界は変わりないじゃないか」
家庭、クラス、職場みたいな小さな世界ですら、自分がいなくても大して変わらないのだ。
もっとマクロな世界では、自分なんか、いてもいなくても何一つ変わりがないに決っている。
…そう。
その自分のあまりの”存在の軽さ”が、自分の進んだ道や積み上げたものの価値の無さを証明している。
この事実に気づいた時、自分程度の人間は、進むことも立ち止まることも、逃げ出すことすら”すべて同じ程度の影響力しかない”という無力感に苛まされることになる。
それは今も変わらないし、多分これからもずっと変わらない。
だから不意に「もう進むのは嫌だ…」という弱さが襲ってくる。
「変わっていく自分」なんて感情、微塵もない
意識高い系ポジティブシンキングの奴らが「自己投資!」「自分磨き!」「変わっていく自分が嬉しい!」なんて言うけど、その感覚がまったく理解できない。
どんなに自分を着飾って周りの反応が変わろうが、自分自身は変わらないというのに…。
そ ん な も の に 、 一 体 何 の 意 味 が あ る ?
着飾って、取り繕って、それで作り出した自分が評価されれば、今度はその「イツワリの自分」を演じ続けるだけのエンドレスダンスが始まるだけだ。
…そりゃあ、最初のうちは気持ちがいいかもしれない。
だけど、そのうち演じ続けるのにも疲れてくるし、何よりちょっと変わった程度じゃ数日もすれば、そんなものは”当たり前”になってしまう。
結局、少し変わった程度では、何も変わらないんだ。
そうして、また「自分なんてちっとも変わっていない」という虚無感に苛まれることになる。
人間、そんなに急激に変われるほど強くは出来ていない。
事実、多くの人間は歴史から学ばず相変わらず同じ過ちばかりを繰り返し続けてる。
日本の権力者や富裕層なんか、どいつもこいつも保守&保守で変化からはもっとも遠い存在だ。
ちょっとやそっと進んだ程度で変われるほど、世の中は甘くない。
”勇気を持って一歩踏み出してみた”程度じゃ、何一つ変えられないんだ。
ナンドデモ…クリカエス……カワラナイ…カギリ…
by 空母棲姫(艦これ)
でも、止まった瞬間「心は死ぬ」だけ
だけど進み続けて、少しずつでも変わらなければ、時代に取り残されていくだけ。
進み続けたって地獄しかないし、ちょっと変わった程度で自分の本質が変わるわけではない。
何をしたって、心にぽっかり空いている穴は埋まらない。
進むのが怖いんじゃない。
進んだ先に、望むものが一切ない未来が怖いんだ。
でも、怖いからと言って進まければ、時間に取り残されるだけ。
変わっていく世の中、先に進んでいく周りの人間を見て、虚しさが深まっていくだけ。
…多分、立ち止まって進まないままでいても、大して世界に変化はない。
同じなんだよ、進もうが進まなかろうが、変わろうが変わらなかろうが。
そうだとしても、立ち止まった瞬間に訪れる、あの「心が死ぬ」感覚が死ぬほど怖い。
だから「進んだ先に何もない」とわかっていても、進むしかないんだ。
―――がむしゃらに進んでいるうちは、何も考えなくて済むから。
それでも、進み続けるしかない
進むのは怖いし、嫌になることもある。
…いや、毎日コツコツ進み続けてるはずなのに、何一つ進んでいないという空虚感がおぞましい。
「何をやってもダメな奴はダメ」
「ちょっと頑張っただけじゃ人生は変わらない」
「決断して何か成し遂げた気でいても、結局何も変わっていない」
毎日必死にやってるつもりでも、世間の評価はいつでも残酷だ。
必死に積み上げてきたものでも、飛ぶ時は一瞬。
そして何かを積み上げたら、今度はそれを守るために必死にならなければならない。
こんな人生を”地獄”と呼ばずして、なんと呼べばいい?
世間の良識ぶった人間は「生きることは素晴らしい!」だの「人生は幸福になるためにある」だの言っているが、そんなものは一部の恵まれた人間の理屈に過ぎない。
生 き る こ と は た だ の 苦 行 だ 。
明日も明後日も一年後も十年後も、死ぬまでずっとこの同じような退屈な日々が延々と続く。
先なんて、見え切っているじゃないか。
平和な日常は、実際のところ「命を賭してまで為すべきことのない、ダラダラした日々が死ぬまで続く」ことを意味しているようだ。
つまり、幸せや生き甲斐とやらに出会えない人間にとっては、生き地獄でしかない。
そんな生き地獄を味わってる人間に「生きてればそのうちいいことある」「頑張れば報われる」なんて無責任に言い放てる楽天家が心底憎い。
誰もがそう簡単に幸せに生きられるほど、世の中は単純じゃない。
…現実を見てみろよ。
酒だか女だかに溺れながら、病気と孤独に怯えながら老後をグロテスクに過ごしている人間ばかりじゃないか?
そんな人生に何の意味がある?
多分、大した意味はない。
”希望”とか”可能性”だけをチラつかせておいて、大半の人間はそこに行き着くこともなく、ただ死んでいく。
…それでも、進み続けるしか選択肢はないんだ。
進んだ先が天国か地獄かは、誰にもわからない。
それでも自分の選んだ道なら、どんな地獄でも突き進むしかない。
「天国は知らないけど、地獄はあると思うよ。ないと困る」
「あたしたちはそこに行くんだ」by 阿武隈(艦隊これくしょん -艦これ- 陽炎、抜錨します!5巻)
「自分の背中は自分で押せ」
結局、人生なんて進むも引くも、地獄でしかない。
ならば、せいぜい「自分で選んだ地獄」を歩みたいじゃないか。
どいつもこいつも誰かに言われるがまま、流されるがままに生きてきて、その上自分の生き方を他人に押し付けてくるから、心底迷惑この上ない。
「お前らみたいに、器用には生きられないんだよ」
実際、世の中「他人に言われたとおりに生きている」だとか「世間体に流されて生きている」みたいな、そういう自分の背中を自分で押せない人間ばかり。
…そりゃあ、誰かに決断を委ねて周りに合わせておけば、少なからず間違うことはないもの。
失敗して笑われることもないし、他人に文句を言われることもない。
楽な選択肢を選んでるクセして、自分が偉いとでも思っているのか?
誰一人、理解者はいない。
身内も友人も味方にはなってくれない。
失敗した責任は決して他人に背負わせない。
そんな覚悟で、自分の生き方を決めた人間はどれぐらいいる?
どーせ、大半の人間が「これが正しい、安定した生き方だから」「親や教師に薦められた仕事だから」「なんとなく…」だの、その程度の理由でしか人生の決断をしていない。
だから、どいつもこいつも仕事や社会、あるいは他人に愚痴ばっかり垂れてばっかりなんだ。
なぜなら、自分で現状を変える選択肢すら思いつかないからだ。
そんな、社会に生かされているだけで自発性も意志もない人間になるぐらいなら、死んだほうがマシだ。
…そんなんじゃねえだろ。
そんな人生なんかで満足できていないから、みんな悩んでいるんだ。
だから、やりたいことがある人や、人生の重大な決断をしようと思ってる人は恐れず進んで欲しい。
そのまま何もしないで後悔するより、自分の意志で進んだ方がいい結果になるはずだから。
どうせ、何をしても後から「だからあの時、ああしておけば…」だの結果論で文句を言ってくる奴は湧いてくる。
そういう人間ばかりだから”決断できる人間”がいつの時代も求められるんだ。
どれだけ後からアレコレ言おうが、過去は変えられない。
だけど、未来は違う。
自分の意志で変えられる。
自殺すればさっさと将来の不安から逃れられるし、どんなにクソな人生でも進み続ければ希望は見えるかもしれない。
だから、進む意志があるのであれば誇りに思って欲しい。
何もやりたいこともないまま、人生の決断を避けて生きるよりかは、何百倍もいい人生を送れるはずだから。
自分の意志で歩んだ奴は、それだけですごい
進んだ先に何があるかは、わからない。
未来のことは誰にもわからないはずなのに、なぜか多くの人は「これが安定した人生だ」と一番退屈な選択肢を選ぶ。
そして、それがみんな正しいと思い込んでいる。
戦うこともせず、命を投げ出してもいいぐらいの生き甲斐を見い出せないまま、何一つ成し遂げられないまま、ただダラダラ命を使い果たすことが”幸せ”だなんて、笑わせるな。
自分で自分の生き方も決められない奴は、生きていようが死のうが、同じだ。
極端な話、自分で選んだ選択の結果死んだのであれば、それは立派な命の使い果たし方だ。
…命なんざただの消耗品でしかないのに、老後までダラダラと生き長らえることが前提の世の中だから、何もかもがくだらなくなるんだ。
それも年金問題だの、アルツハイマー・介護の負担だの、無駄に長生きすることなんかくだらないと明らかになってきている現代において。
そんなクソみたいに退屈な世の中だ。
自 分 の 進 む 道 ぐ ら い 、 自 分 で 決 め ろ よ 。
他人のアドバイスとか批判とか、憧れの人がどうだとか、んなもんはどうでもいい。
お前の命は、会社のものでも、ましてや親のものでもない。
命は自分のものだ。
どう命を使い果たそうが、自分の勝手だ。
”自分勝手”で上等じゃねーか。
自分の道も自分で決められないで、流されながら生きて、その上でうだうだ愚痴ばっかり言ってる人間なんかになりたくないのであれば。