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協調性がくだらない理由。周りに合わせるしか能がない雑魚は優秀なヤツの気持ちがわからない

「協調性はないが優秀である自負はある」
「実務面で優秀であれば協調性は必要ない」
「仕事で協調性やチームワークを求められる疎ましく感じる」

このように感じていませんか?

多くの仕事では協調性やチームワークが求められますが、中には「一人の方がやりやすい」「他人に合わせるとパフォーマンスが下がる」と感じる人もいることでしょう。また、そのような人物が本当に優秀であるなら、確かに一人で業務に臨んだ方が成果を出せるという例もあります。

たとえば、比較的個人プレイが許されやすい営業職やコンサルタント業であれば、個人で爆発的な成果を出して会社の売上に貢献できる場合もあるでしょう。また、仕事が速いプログラマーが周りの分の仕事まで終わらせてしまうといった話も、よくある話です。

社会生物学に「働きアリの法則」という言葉があります。

これは、集団や組織において「怠け者:普通:働き者」の比率が「2:6:2」に分かれ、働き者や怠け者がいなくなっても次は普通の誰かが働き者や怠け者になって2:6:2の比率に戻っていく…という法則を示す言葉です。

働きアリは腰が軽いため食料を集める仕事を効率よくこなすことができ、集団の食料の8割を集めてきます。一方で普通のアリは残りの2割を集め、怠け者のアリは何もしないで怠けています。これを人間社会に当てはめて考えると、2割の働き者が8割以上の生産量を出しているわけですから、残りの8割の相手が怠け者や無能に見えたり足を引っ張ってると感じるわけです。

通常の組織での仕事では給料も横並びのことが多いわけですから、働き者にとっては他の者よりも働いているにも関わらず給料が他と変わらないという不公平感が生じます。その結果、協調性やチームワークが不要だと思えるわけです。

しかし、この働きアリの話の法則には実は続きがあります。

仮にすべてのアリが働きアリであるとしましょう。2割の働きアリが疲れて休むと今度は他のアリが働き出すので、先ほどの「2:6:2」の法則が成立します。ですが、すべてのアリが一気に働き始めたとすると、短期的な効率は上がりますが、すべての働きアリが一気に疲れて休むタイミングが来るため、長期的な生産性が落ちてしまうわけです。

このことから長期的に見た時、たとえ効率が悪かったとしても有能な働きアリ以外にも、普通のアリや怠け者アリも働いた方が、アリの群れ全体での生産性は高いという結果になるのです。人間の集団や企業活動においても同様のことが言え、優秀な一部の人間だけに仕事を与えても短期での成果に期待はできても、長期での組織運営困難になるのです。

だいぶ話が逸れましたが、要は「短期的に見れば優秀な人間だけが仕事すればいいが、長期的に見れば普通の人や怠け者にも仕事を与えなければならない」ということが言いたいのです。

通常組織での仕事は会社全体の利益を追求していくわけですから、自分一人だけが優秀であればいいわけではなく、協調性やチームワークが必要となるということです。どれだけ優秀な人であっても、どこかのタイミングが「他人に仕事を任せる」「自分だけが有能であっても会社全体のためにはならない」という問題が出てきます。

そこで本記事では、優秀であれば協調性やチームワークが必要ないと感じている方に向けて、仕事における協調性やチームワークの存在意義や考え方などをお伝えした上で、どのように協調性を育んでいくかについても解説していこうかと思います。

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日本は「協調性」が目的化しすぎている

そもそも、日本は「協調性」が目的化しすぎです。

どういうことかというと「何かを成し遂げるためにチーム一丸となる」のではなく「とりあえずチーム一丸とならないといけない」という、ワケのわからん強迫観念や連帯責任感が無意識下に存在しているのです。

これは学校教育過程で、洗脳レベルで「協調性が大事」「チームワークが大事」「困った時はみんなで助け合おう」だの、くだらんことを刷り込んでいるからでしょう。

学校の部活動はもとより、生徒会やらボランティア活動、果ては大人になってのPTAとか地区会とか、常識的に考えて参加しないほうが得に決まってます。

義務でもない、メリットもないものに好き好んで参加しておいて、参加していない人間を「協調性がない」などと罵るのは、まさにバカげた所業。

それも社会活動ならともかく、各々の目的や思惑を持って社員の集まる”仕事”において、協調性を押しつける人間はハッキリ言って「お前が一番協調性がない」と言わざるを得ないでしょう。

「みんなで頑張ろう」とか寒い

「協調性」を代表する言葉の中で一番寒いのが「みんなで頑張ろう!」とか言う、2011年の東北大震災以来流行っている国民病ですね。

率直に言って、安月給で自分の生活も苦しいような人間が募金したりボランティア参加してるのって「まずは自分が人一倍稼げるようになってからやれよ」としか思いません。

だいたい、1人でボランティア活動するぐらいなら、起業して被災地で職を失った人間に雇用を与えるほうが、よっぽど人助けをしていると言えます。

つまり「みんなで頑張ろう!」というノリで頑張ってるやつは「人助けしている自分に酔っているだけ」なんですよ。

別に人助けするのは勝手ですが、他人にそれを押しつけるのはありがた迷惑もいいところ。

「いや、オレは頑張りたくない」と言っている人間に、努力を強制する意味とか理解不能ですよ。

別に頑張りたい奴は勝手に頑張ればいいですし、そうじゃない人は頑張らなくてもいい。

こういう多様性を認められない奴が都合よく口にするのが「協調性」ですよ。

ここまで来ると「同調圧力」でしょうか。

もっとわかりやすく言えば「みんな苦しんでるんだからお前も苦しめ」「オレも若い頃は苦労したんだからお前も苦労しろ」ってヤツ。

会社で言えば「みんなサービス残業してるんだからお前も残れ」「お前が休んだら職場が回らないから病気でも出社しろ」ですね。

ちなみに、こういった「協調性という名の正義」を振りかざして相手に嫌なことを強要するのも「モラルハラスメント(道徳によるいやがらせ)」に分類されます。

日本から職場いじめ・ハラスメント行為が減らないのも「協調性と言う名の圧力」のせいだと考えるべきでしょう。

「協調性」は無能側の搾取の言葉

基本的に「協調性」って、無能側の搾取の言葉なんですよ。

要は「自分が困ったから助けて」「自分じゃ出来ないから助け」という言葉を「協調性」という都合のいい言葉に替えているだけ。

協調性を重んじている人間って「何かあったら誰かに助けてもらえる」という甘えた考えが根底にあるので、ちっとも成長性ないんですよ。

自分の能力の無さの言い訳に「協調性」という言葉を使うのは、ハッキリ言って他人の足を引っ張っているだけです。

少なからず、仕事においては「ギブ・アンド・テイク」の利害関係が基本、助けてもらいっぱなしで何も返せていない人間は、組織のお荷物でしかありません。

協調性は確かに大事ですが、他人に「協調性がない」と主張することは「自分は無能だ」と自白しているようなもの。

チーム内で能力差がある場合、人事の配置が間違っている

「協調性」が厄介なのは、同じチーム内に明らかに能力差がある人間がいる際に、悲惨な結果にしかならないことです。

わかりやすく言えば、同じサッカーチームにプロと小学生が一緒にいて、ワールドカップに参加するようなもの。

小学生がプロに混じってワールドカップの試合するなんて、正直チーム全体で見ればハンディキャップでしかありません。

プロの選手と小学生がガチンコで競り合えば怪我する可能性すらあるわけですから、チームは小学生のガキを庇いながら戦うようなものですからね。

つまり、同一チーム内に明らかな無能を混ぜて仕事させることは、ハンディキャップを抱えながら仕事することにほかなりません。

チーム内の能力差に開きがあると、無能側からすれば「申し訳ない…」という罪悪感を生み出し、有能側からすれば「あいつ何やってんの?」とストレスの原因になるんですよ。

法的には”仕事の能力”を理由に解雇するのは難しいですから、ひどい場合はモラハラや職場いじめで排他するしかなくなるわけですね。

無能がいなければチーム全体の成果が「10」となるものが、無能1人に気を遣って仕事するのは「9」どころか時に「1」になる恐れすらあります。

これって、仕事の出来ない人間側も出来る人間側も、お互い不幸ですよね。

どちらもいい思いしませんし、チーム全体の能率も下がりますから。

しかも、なまじ無能が変に権力や人間性がいいと、有能な人間ほど「あいつと給料一緒なら頑張るだけ無駄」と気づきますから、意図的に手を抜くのが最適な行動となります。

ここまで説明すれば、能力差が著しいチーム内での協調性・チームワークは全体の能率・生産性を下げる結果にしかならないことは、簡単にわかるかと思います。

つまり、協調性を大事にした結果、

  • 明らかな無能は足を引っ張り続けるしかない
  • 優秀な人間は手を抜くほうが得する結果になる
  • その結果、チーム全体の成果は下がる

…という現象が起こるのです。

日本企業の生産性が上がらないのも、協調性という名の足の引っ張り合いのせいであることが容易に想像できるでしょう。

「協調性」の名の下の領域侵害は許されない

「協調性」の厄介なところは、時に他人の「領域侵害」になるところでしょう。

たとえば、参加任意の飲み会なんて最たる例でしょう。

プライベートの時間は本来仕事と切り離した領域になりますが、なぜか協調性を重んじる人間は飲み会に参加しないと「協調性がない」と決めつけるそうですね。

ハッキリ言って「飲み会は仕事上必要なコミュニケーション」だとするならば、仕事の時間内に建設的なコミュニケーション時間を設けるべきです。

また「協調性」を口実に、他人のプライベート…たとえば「家庭」「恋人」「趣味」にズケズケ漬け込んでくるのも、重大な「領域侵害」でしょう。

家庭はともかく、恋人や趣味については仕事上必要ない情報ですから、わざわざ職場内の人間に教える義務はありません。

しかし、協調性を大事にする人間はなぜか「あいつはプライベートについて一切話さない」などと、ワケのわからんことを言い出すのです。

公私を分けることが出来ないのも、過度な協調性がもたらす弊害だと言えるでしょう。

関連:職場の馴れ合いが気持ち悪い…仲良しごっこが嫌いと感じる人の心理とは?

「暗黙の了解」が実は共通認識ではないことも…

「協調性」は目に見えるものでもなく、しかも常に「不平感」「不平等感」を内包しているもので、言わば「暗黙の了解」とも言えます。

しかし、時にその「暗黙の了解」が、蓋を開ければ「実はみんな間違っていると思っていた」ということもありえるのです。

たとえば、内部不正を何十年も黙秘している会社はよくニュースになりますが、これも協調性がもたらす弊害です。

これって組織側からすれば、まったく組織運営することの体を成してないんですよね。

上司や経営者が暴走してしまった時に、立場を捨てる覚悟で異を唱える人がいるからこそ、組織単位での経営判断がより正しい方向性に導かれるのです。

ですが、普通は言いませんよね。
だって、面倒事背負いたくないですもの。

んで、みんな「こんなの間違ってるよ」と思っているのに、言わないことが「暗黙の了解」になっちゃうわけ。

時には「空気を読まない」ことが、良い結果をもたらすことも考えると「とにかく協調性を守っておけばいい」という思考停止が考えものだとわかることでしょう。

意見や要望を通しにくい社会風土にも問題がある

以上のような事情もあるので「協調性」という暗黙の了解は、社員の不満や不平を募らせる結果にもなります。

たとえば、従業員全員待遇や給料、経営方針に不満があるのに誰もストライキを起こさず、黙って耐えるなんて、傍目からすれば「お前ら黙って耐えてバカなの?」とツッコミどころ満載です。

んで、そういう人ほど飲み屋やネットで愚痴ってる割には、一切行動しない。

しかもその愚痴ですら「みんなこう思ってるんだから、お前らも愚痴れ!」という謎の連帯感が生まれる。

んで、やることと言えば「バズ」「いいね」「リツイート」と言う名の「オレもこう思ってるから、誰か変わりに社会変えて」というヤツな。

でも、これが日本人が大好きな「協調性」ってヤツの正体ですよ。

誰かが何かを変えてくれたり、あるいは批判覚悟で先陣をきるリーダーが現れてくれなきゃ、いつまでも「協調性」の中に浸っているだけ。

その結果が、資本家や権力者に搾取されまくつ二極化と考えると、いかに協調性が足の引っ張り合いかはおわかりいただけることでしょう。

「協調性がない」という言葉は真に受けなくていい

以上が「仕事に過度な協調性・チームワークは不要」と主張する私の持論です。

だいたい、無能な人間とか本当に無能なら生活保護受けて慎ましく暮せばいいだけですし、逆に有能な仕事大好き人間はガンガン働いて高給もらうのが、正しい形じゃないですか。

なのに、協調性大好き人間は「無能な生活保護者も平均的なサラリーマン並に働け!」「自分より稼いでる奴は楽して稼いでずるい!」だの、自分の都合のいいように協調性や平等主義を振りかざす。

…まあ、それって「差別」「嫉妬心」なんですが、自分の醜さから目を背けて反省できないから、いつまで経っても成長できないんですよね。

そういう人間は「会社や社会に養ってもらってる」「有能な人間が作った便利なシステムの中で生かしてもらってる」という事実を認識して、一生「みんなで頑張ろう!」と我慢しながら周りの人に尽くして死んでいけばいいんですよ。

もちろん、だからと言って「協調性がなくていい」「周りと合わせるな」といいたいわけではありません。

日本には「出る杭は打たれる」ということわざもある通り、協調性がない人間は嫌われます。

つまり、協調性を重んじんている”フリ”だけしておきながら、実際は協調性を鼻で笑ってたほうがいいということですね。

飲み会なんかも無駄な馴れ合いは避けつつ、要所要所で顔を出しておいて他の部署の人間にも印象づけておく。
職場で仕事の進みが遅い人間がいれば、助けてやって恩を売っておく。
重要な会議で誰も表に出して上司に物を言えないのであれば、火の粉を浴びてでも率先して意見を言ってみせる。

要は、協調性もすべて打算や自分のためにやっているだけで、それが自分に返ってこない会社は「協調性と言う名の搾取・チームワークと言う名の足の引っ張り合い」と言うほかないでしょう。

この機会に、あなたの所属している会社やコミュニティも「協調性と言う名の足の引っ張り合い、無能側からの搾取」になっていないか、考え直してみてください。

「協調性という名の搾取」にうんざりしたら転職を

もし、今回紹介したような「協調性という名の搾取」にうんざりしている方は、転職を考えましょう。

自分と同じレベルのチームに所属できれば、他人に足の引っ張られるリスクは格段に下がります。

日本の企業って基本的に「無能でも協調性・チームワークでなんとかできる」っていう経営のところが多いので、やっぱり有能な人からすれば居心地悪いんですよね。

「自分が上司ならもっと効率よくやれるのに」
「あの無能な部下さえいなければ、もっと成果出せるのに」
「クソお局が黙っておけばもっと仕事に集中できるのに」

こういったことが日常茶飯事に起こるのであれば、転職を考えておく価値はありますよ。

なぜなら、その会社はあなたの能力を活かしきれていないから。

こういうこと言うと「傲慢」「プライドが高い」「意識高い(笑)」なんて言われるかもしれませんが、仕事が出来ずに足を引っ張ってグチグチ言ってるだけの無能どもよりかは何倍もマシです。

ただ、表に出せば「出る杭は打たれる」現象で嫌われたり、和を乱してしまうだけで。

内心に野心を煮えたぎらすのはむしろ健全というものですよ。

日本で生きるためには「協調性を守っている”フリ”をしながら、いつでも転職可能な準備をしておく」ことこそ、もっともかしこくしたたかな戦略だとわかるでしょう。

ただ、いきなり転職しようとしても、経歴が不十分なうちや自己アピールが不十分なうちは自力で転職しようとしても採用されにくいばかりか、下手をすると年収ダウンしてしまったり待遇がさらに悪くなる…なんて失敗にもつながりかねません
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