仕事でよく賛否両論になるのが、
「メモをとるべき」
「メモをとるぐらいならやって覚えろ」
…という、意見の応酬ですね。
お前らは、そんなくだらねえことにこだわってるから、いつまで経っても成長しねえんだよ!
だいたい、考えても見てくださいよ。
学生時代、ノートをとらずにテストでいい成績出す人もいましたし、逆にノートは見やすいのにテストの結果はイマイチ…という人がいましたからね。
「メモをとる・とらない」でもめている職場は、学校で何も学んでいない人が多い証拠です。
ひどい場合は「メモをとったこと」自体で満足していたり、逆に何が何でもメモをとらないで凡ミスばかりの人もいますね。
手段と目的を履き違えたバカが、社会にはびこっている証拠です。
「メモ」にこだわる人はいつまで経っても成長できません
そもそも「メモをとる」というのは、ただの記憶の補強作業であったり、思考を整理するための「手段」でしかありません。
あくまで「手段」です。
社会人にはバカも一定数紛れ込んでいるため「とにかくメモを取れば一発で覚える」「メモをとるのも仕事」と勘違いしている人も実に多いです。
そういった手段と目的を履き違えたバカが指導する立場になると、頭ごなしに「メモをとれ」と命令し「メモをとらない=覚える気がない」と勘違いするわけです。
学生時代の授業を思い出してみてください。
ノートをとっていない生徒がいると、キレだす教師もいましたよね。
あれと同じです。
「ノートをとっていない=学ぶ意欲がない」と、勘違いするわけですね。
日本人はこのタイプの「手段が目的化している勘違いバカ」も多いので、注意が必要です。
ノートを熱心にとりながら話を聞いているフリしていれば、一切授業の内容が中身に入っていなくても、問題ないのです。
私も、よく教師に適当な態度で授業中に怒られていましたが、ノートはぶっちゃけ要点しかメモる必要なかったですし、だいたい教科書読めば簡単にテストでも点数とれたので、ただノートをとる必要性を感じていなかったわけです。もっと言えば落書きしまくって、余分なことでノートの空白を埋めていましたからね。
「メモ」にこだわる頭でっかちの対処法
もっとも、社会人には「真面目に聞いているフリ」という、誠意を演出する必要も多々あります。
スーツを着て、ビジネスマナーどうこうですね。
ぶっちゃけ、スーツやビジネスマナーには、なんら仕事の成果に直接的な影響はありません。
しかしながら、スーツやビジネスマナーみたいな誠意の演出にこだわる輩が多く、それが他人の信用の基準に大きく関わってしまう以上は、守ってしまっておいた方が合理的なわけですね。
どんなに仕事が出来る優秀な人材でも、身だしなみやビジネスマナーが守れていないで機会損失しては、もったいないですからね。
こういった「誠意の演出」「マナーや慣習を守っていく合理性」という無駄と思えることを、論理的に説明できないアホが多すぎるせいで、融通の利かない頭でっかちが生まれてしまうわけです。
職場や上司のバカ度によっては「メモをとる行為そのもの」が、仕事に対する意欲として判断される場合もあります。
その場合は、素直にメモをとるフリしておいた方が、色々とこじれなくて合理的に問題を解決できることでしょう。ぶっちゃけ、とったメモは使わずともOKです。上司を満足させるためだけに「メモを取る」わけですからね。
「メモをとる」必要のある人とは?
ところが、メモをとるべき必要のある人も多数いますね。
- 記憶力の悪い人
- 要領の悪い人
- 物事の優先順位が判断できない人
- 思考の整理ができない人
こういった、俗に言う「頭が悪い人」と言われるタイプの人ですね。
別に頭が悪い事自体は、悪いことではありません。自分の能力の足りなさを補う努力は必要なわけです。
言ってしまえば「メモをとる」ことは、自分の能力の足りなさを補強する道具なわけです。早い話が、パソコンや電卓と同じものだと思いましょう。
まあ、前項の「何が何でもメモを取れ!」と言っているのは、ただ自分が頭悪いから、頭のよい人がメモが必要ないことを想像できないだけなんですけどね。
メモのとり方の工夫
ついでに、頭の悪い人向けにメモのとり方の工夫を紹介しておきましょう。
要領の悪い人ほど、最初から全部メモをとります。極端な例で言えば、上司の言ったこと一言一句メモる人もいるでしょうが、それはあまりにも非効率的です。裁判の速記や、取材の録音じゃないのですから、そういうバカ真面目なことはやめましょう。
メモは、早い話自分が見てすぐに思い出せるのであれば、どんな書き方でもOKです。
たまに頭はいいのにノートの汚い人がいますが、あれは単に記憶の補強装置としてしか使っていないからなんですね。自分で見て思い出せればOKなんです。
メモをとることの本質は「思考=脳の整理」にあると思うんですよね。
必要ない情報は一旦書いて忘れてもいいし、逆に一度書くことで重ねて記憶することができます。
要点だけを洗い出して、指示内容を整理することもできますし、順序立てて指示をまとめることで、フローチャート式な実践マニュアルとして参考にも出来ますね。
実はメモをとることは、そういった「自分の頭の中を一度整理する」ことが最大の目的なんです。
ですので、業務内容や指示に応じて、最適なメモのとり方が出来るように「頭の体操」をしているものだと思いましょう。
ちなみに「書くこと=思考の整理」という発想については「思考の整理学」という本が非常に分かりやすかったですね。少々アカデミックな内容ですが、頭の体操にはぴったりな本ですので参考にしてみてください。
ちなみに、私もブログ記事を書く上で、かなり思考の整理をした上で、人にわかりやすいように計算して書いております。
メモをとる際に頭の体操を意識することで、業務習得度も向上したり、判断力も磨かれると考えると、また仕事上での「メモをとる」という行為の意味が変わってくるのではないでしょうか。
まあそういった、読者様方の思考力の幅を広げることも、私がこうしてブログを書くことの意義であったりするわけです。
メモだけに頼るな!
まあ、もっとも「メモをとる」云々以前に、わからないことは聞いて解決していくほうが、何倍も手っ取り早いですね。
とはいえ「一度教えたことは絶対に二度教えない」という、融通の利かないクソ上司も世にはいるものです。そういう上司は、人材教育やマネジメント視点からすれば仕事をサボっているも同然ですので、気にする必要はないでしょう。しつこく、聞きまくっておいた方がお互いのためです。
前にも説明したとおり「メモをとる」ことは、ただの個人の能力の補強手段でしかありません。
メモを取れば一発で仕事を覚えるとは限りませんし、メモをとらなくてもガンガン覚えるタイプの人もいます。
そういった事実を理解できない想像力のないバカが「メモをとる・とらない」だの、ただの手段に固執し続けるわけです。
大切なのは、自分の能力や上司の性格をよく理解し、メモをとるかとらないかの判断力を磨いていくところにあるのではないでしょうか。
メモを取る/取らないの低次元な議論にウンザリしたら転職活動を
もし、職場で「メモを取らない人間は仕事ができない」あるいは「メモを取る人は仕事ができない」などと低次元な議論ばかりに時間を割くような環境でしたら、それは職場環境が良くなかったり、周りの人材があまり優秀ではない証拠かもしれません。
たとえば、メモを取ろうが取らないが「成果さえ出しておけばいい」「メモを取る必要もなく、業務フローがマニュアル化されており仕事がしやすい」といった状況が整っている職場こそ、仕事ができる人が集まっている会社の証です。
ですので、メモを取る人が仕事ができない、逆にメモを取らないから無能扱いされるなど、そういった小手先のことばかりにこだわり、もっと本質的な仕事について関わりたいなら、一刻も早く今の職場を抜け出すために転職活動を行っておくに越したことはありません。
ただ、いきなり転職しようとしても、経歴が不十分なうちや自己アピールが不十分なうちは自力で転職しようとしても採用されにくいばかりか、下手をすると年収ダウンしてしまったり待遇がさらに悪くなる…なんて失敗にもつながりかねません