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「失敗を恐れるな」は大ウソ。失敗は許されないし怖いもの。

「失敗を恐れるな」というのは、ウソ吐きの言葉です。

本当に失敗が怖くないのであれば、大企業はもっと新しい事業に積極的に挑戦し、政府は時代に合わせた革新的な政策を実行しているはずですからね。

社会を見てくださいよ。

失敗すれば、みんなで喜んで叩きます。
成功すれば、陰では妬んでばっかりです。
そして、権力者ほど、失敗しても責任転嫁の言い訳ばかり。

みんな、失敗が怖くて恐くてしょうがないんですよ。

失敗が怖いからできるだけ安定して暮らせる正社員を目指し、家族だか社会的地位だのを守るために失敗しないように生きる。

本当はみんな、どうしようもなく失敗が怖くて、安全なところから他人の失敗を眺めるのが大好きなんですよ。

しょせん、人間なんてその程度のしょーもない生き物です。

失敗は怖いという事実

失敗すれば、我々は色々な物を失うことになります。

幸い、我が国では「最低限度の生活」が保障されているため、失敗しても死ねません

それが問題なんです。

昔ならば、失敗すれば潔く死んですべてを精算できたというのに、この息苦しい現代社会では、失敗しても死ぬことは許されません。

失敗してすべてを失うどころか、マイナスになって生き地獄を味わうハメにもなりかねないわけです。

それを本能的に理解しているからこそ、私たちは失敗を避けて生きるのです。

なるべくいい学校に行って、新卒を逃さないようにいい企業に就職して、いい人と結婚して、それなりの人生を歩む。

失敗しないことが、幸せの条件なのです。

一度の失敗で「信頼」を失う社会

社会では、失敗は許されません。

日本の社会では、何よりも「信頼」が大事です。

信頼は失敗しないからこそ、生まれるものです。

しかし、悲しいことに

信頼を積み上げるのには多大な労力を要するのに対し、崩れるのは一瞬なのです。

大企業や政治家が、今まで積み上げた既得権益の保守に必死なのを見ても、この事実は明白です。

信頼を積み上げれば積み上げるほど、失敗は許されなくなるのです。

間違いを許さない不寛容な社会

日本社会では、失敗や間違いに対しては実に不寛容です。

失敗すれば誰かに叩かれ、笑われ、徹底的に再起不能になるまでいたぶられます。

失敗すれば、他人に迷惑がかかるからですね。

そして、失敗すれば余計な仕事を増やされ苛立つ大人も実に多いのです。

学校教師が、生徒から余計な仕事を増やされ嫌々仕事している姿を、我々は目撃し続け、失敗することや余計なことをするべきでないと、学んでいくわけです。

また、学校ではテストに正しい回答を、道徳の授業では模範解答を答えるように、教育され続けます。

そうすることで、我々は「失敗しない人間=大人」へと成長していくのです。

そして、何もしなくなった…

そうして「失敗することは許されない」という日本の環境で育った私たちは、失敗しないように慎重に、正しい選択を迫られ続けます。

一度失敗してしまえば、他人からの信頼は落ち、誰かに笑われ、どんどん見放されてしまいます。

―――そうか。

何もしなけりゃ、失敗することもないんだ。

私は「失敗しないため」に、何もしないことを選ぶことにしました。

そうすれば、何も得ることもないですが、失敗することもありません。

何かを得るよりも、失敗しないことのほうが大事ですからね。

「失敗」自体を想定に入れて行動しよう

世の成功者は、結果論でエラソーにアドバイスしてきます。

「失敗してもいい」
「失敗しないと成長しない!」
「失敗を恐れるな」
「失敗は成功の元」

うるせーな。オレは失敗が怖くて怖くてしょうがねえんだよ!

そこで私は、もうどうでもよくなって、考えを改めました。

なんだ。失敗すること自体を前提に、行動すればいいだけじゃん。

失敗パターンやその後の他人の反応も、何千パターンも初めから想定しておけば、行動などただの「検証」でしかなくなるわけです。

失敗しても「想定通り」「初めから失敗するために行った」と、失敗自体を「成功」に替えることができるのです。

要は、理科の実験みたいなものです。

そうすることで、不思議な事に、あらゆる行動に成功も失敗も存在しなくなってくるわけです。

就職活動・転職活動においても、応募や面接など、最初から「落ちるため」に受けることで、どうでもよくなってきます。

恋愛も振られるため、別れるためにするものです。

失敗は怖いものですが、失敗自体を既に前提に組み込んでいる時点で、とくに何も感じることなど無く、冷静に対処できるのです。

そして、他人のことなど気にならなくなります。

最初から失敗すること前提で動いていることに、エラソーに揚げ足とって叩いている連中も、そもそもが想定内です。

その程度の連中は、自分の思い通りに動いている人間ですからね。漫才のボケにツッコミ入れているような、予定調和でしかありません。

これが、失敗の恐怖を克服するということです。

遠回りこそが「最短の道」

失敗を過度に恐れる人間は、失敗の恐怖を克服するためには「遠回り」するのが最善の手段です。

失敗が怖いのであれば、失敗パターンを何百・何千パターンも考えておけばいいのです。

失敗後の対応も考えておけば、そもそもが失敗すること自体を前提に行動できます。

あるいは、不意のトラブルやミスも、想定しておくことで冷静に対処できるようになります。

私たちは「失敗しないために生きている」のではなく「失敗を克服するために生きている」のです。

天才的な発明がおびただしいほどの失敗を重ねて、人類を発展させていくことからも、失敗を克服していくことこそ、我々の生きる道なのです。

「歴史は繰り返す」と言いますが、まったくその通りです。

失敗を恐れて安定を選び続け、問題を先送りし、大きな失敗の代償を支払った例は、過去にたくさんありますからね。

そして、その芽は今の日本でも「少子高齢化」「広がる貧困格差」など、至るところに出ています。

安定を選び、失敗を恐れるような人間は、失敗を克服できない弱い人間なのです。

失敗は怖いものです。

誰もが失敗を恐れています。

だからこそ、失敗を克服するために失敗していく必要があるのです。