老害化しやすい中高年の特徴。こんな中高年は孤立する。老害化しないためにすべきこととは?

中高年のみなさま。

「老害」という言葉をご存知でしょうか?

「老害」とは、自分が老いたことに無自覚に害をまき散らし、若手の活躍を阻む老人を指す言葉です。

職場の老害上司については『職場の老害の特徴。会社の害悪老人がうざいと感じるなら読んでおこう!』という記事にまとめていますので、合わせてお読みください。

たしかに老人は、一時代を作り上げた人生の師として、尊敬すべき存在です。

しかし、それはそれ相応の人徳があって初めて、尊敬されるのです。

人徳のない、ただ死を待つだけの老害には、誰も耳を傾けないし、手も差し伸べません。

―――待っているのは、孤立。

誰にも見送られることなく、惨めに死ぬ未来でしょう。

「老害」は肉体のみならず、精神的な「老い」を強く意味しています。

万人、肉体は衰えていきますが、精神は本人次第でいつまでも輝きを放つものです。

一方で、いつまでも輝かしい過去にすがる老人は、さながら化石のような存在と果ててしまいます。

「自分は人格者だ、老害になどならない」

そう自信を持っている方もいるかとは思います。

誰もが、自分はそうではないと、信じ込みたいものです。

―――しかし、本当にそう言いきれますか?

定年退職し、会社という居場所をひとつ手放すということは、存外に精神的な拠り所を失うことと気づくことでしょう。

家族もやがてあなたから離れていきます。

子供は自立し、夫婦はどちらが先に死ぬかを憂いる日々となります。

また、年金とて、もはやアテにできない時代であることは、誰もが承知です。

あなたの精神を老害化させる要素は、口を広げて無数に待ち受けています。

今回は老害化しやすい中高年の特徴と、その原因・対策についてご紹介いたします。

新しいものを頭ごなしに拒む

変化しないこと・新しいことを取り入れないこと。

それはすなわち、精神的な死を意味します。

あなたの時間が止まった時、あなたの心は老いて、死を待つだけのものとなります。

老害化する中高年は、新しい価値観、新しい文化、新しい技術を頭ごなしに拒みます。

「今、安定して生活や仕事ができているから」
「前例がない・失敗したくないから」
「覚えるのがめんどくさいから」

そういった「今のままでいい」という理由で、新しいものを知ろうともしません。

時代は否が応でも変化していくものです。

昨日通用した常識も、明日には通用しなくなるかもしれません。

事実、ここ数十年の技術革新は目を見張る者があり、人に変わってロボットが生産を担う時代が徐々に見え始めています。

あなたが誇らしげにしている仕事も、数年経てば前時代の遺物に変わるかもしれないわけです。

時代は常に変わり続けている

共産主義から資本主義へシフトし、人類の生活が豊かになったように、今は技術の革新により資本主義から新たな時代へ変わりつつあります。

時代の変化点は一見、革命などの「大きな事件」が発端と思えますが、それは違います。

そこに至るための伏線が幾多にも水面下で散りばめられ、それに火をつけた瞬間の爆発こそが「時代の変化点」として、印象づけられるのです。

たとえば明治維新などがとくにわかりやすいでしょう。

明治維新の明確な転換点は、幕府が天皇に政権を返した「大政奉還」と言えますが、その水面下では多くの人が新しい文化を学び、有志を募り行動していたことは、歴史の教科書の記すとおりです。

日本人の鎖国体質

日本人は300年にも渡った江戸時代から、保守・閉鎖的な思考が色濃く根づいています。

一度、安定した生活を送れれば、新しい文化を取り入れようとは思わないわけです。

江戸幕府の終幕は、外国の文化の由来や有志による勉学により、やがて明治維新へと繋がります。

これは何も、現在にも十分ありえることです。

インターネットで異文化を積極的に取り入れ、何らかのアクションを起こす際に有志を募ることは日々活発に行われています。

新しいものを取り入れない老害が、時代の波に乗れないことは大いにありえるのです。

新しいものを取り入れない生活、それすなわち「心の鎖国」を意味します。

安泰だと思っていたあなたの生活は、少しのきっかけでいとも容易く壊れることでしょう。

それは技術の革新であり、文化の発展であり、時代を担う若者の価値観の変化であり…。

人の体は老いていきますが、心は変化し続けることで若さを保つこともできます。

場所によって「常識」は変わる

また、場所によっても常識は変わります。

海外で日本の常識が通用しない様に、今の職場や業界での常識も、場所が変われば通用しません。

「郷に入っては郷に従え」とはよく言ったものですが、それは環境が変われば新しい環境に適応しなければならない、という意味です。

日本も一見、一枚岩に見えても、多様な文化や価値観が存在するわけです。

繁華街に並ぶ店も、扉を開けて見れば、まったく知らない文化と価値観が存在するわけです。

私たちの共通の価値観は「お金」ですが、たとえば「面白い話」を支払って食事を提供してくれる店であれば、そこでお金などはいくらあっても無価値です。

私たちが「常識」だと思っているものは、場所が変われば「非常識」に変わることは常々意識しておく必要があります。

新しいものを取り入れるためには?

日常的に新しいものを取り入れるには、新しい価値観・新しい文化・新しい技術を取り入れる必要があります。

 スマートフォンを使いこなそう

もはや新時代のインフラとも呼べる、スマートフォン。

中高年でも所持している方は多いでしょが、その多彩な機能の1割も使いこなせてない人も多いことでしょう。

スマートフォンに変えたにも関わらず、使っている機能がガラケー時代同様…ともなれば、せっかくの技術も宝の持ち腐れです。

そういった、携帯会社に言われるがままにスマホに移行した人は、最近CMでよく見る「格安SIM」の仕組みすら知らないことでしょう。

三大携帯会社が安全、他は安全でない、と思い込んでいるわけです。

未だにFAXなど不便極まりないものを使っている職場も多くあるようですが、メールソフトやpdfファイルを利用すれば、FAX以上の機能が手軽に使えることを知らない中高年も多く存在します。

これは中高年が最新技術を社内に導入しないで、社内の生産性が著しく低下している顕著な例です。

中高年が最新技術をしっかり学ばないせいで、知らず知らずに老害をもたらしているわけですね。

スマートフォンで出来ることを挙げれば、枚挙に暇がありません。

上手く使えば、日常のあらゆる場面で役に立ちます。

事実、外に出てみてもスマホを使いこなしている中高年とそうでない中高年では、徐々に差がつき始めています。

たとえば、道に迷った中高年が道を聞いてきた場合、スマホを使いこなしている中高年であれば、地図アプリを開いた上で説明ができるため、理解が何倍も早いです。

一方、スマホを使えない中高年は、スマホを持っているにも関わらず、口頭の説明で自分が納得できるまで同じことを聞き返してきます。

これではまるで入社したての容量の悪い、新社会人以下です。

最新の技術を使いこなせていないということは、それだけで老害となり得るわけです。

 クレジットカードを持とう

老害とならないためにも、クレジットカードを持ちましょう。

世の中、金です。

最悪、クレジットカードを持っている=精神的な経済の余裕があれば、老害化は避けられます。

クレジットカードは現代の支払いの在り方を学ぶ、お金の運用法の基礎が学べるものです。

最近では「電子マネー」「ブロックチェーン」などが広く運用されていれ、現金での支払いはもはや時代遅れと化しています。

大手銀行会社ではブロックチェーン導入の動きも見られていて、ここ数年で紙幣の存在意義はさらに大きく変わっていくことでしょう。

そのうち「現金決済不可」のサービスが多数を占める時代がやってきて、現金主義の人には不便な世の中になるかもしれませんね。

「現金以外の金銭感覚」を養うためにも、クレジットカードを収入のある定年退職前に作っておきましょう。

また、クレジットカードなどで現金以外の支払い感覚を身につけることは、金銭トラブルに巻き込まれないための知識も身につきます。

たとえば、私の書いた記事にてクレジットカードにおけるリボ払いの危険性を指摘していますが、果たして普段何気なくお金を使っている方は、このトリックにお気づきになれるでしょうか?

なぜリボ払いはやばいのに利用する人が後を絶たないのか?その理由を考える。
最近よく聞くようになった、クレジットカードの「リボ払い」。 使い方をしっかり把握していれば、月々の支払いが一定額で済む便利なサ...

この記事では「オレオレ詐欺に騙される心理」を例として紹介していますが「自分は騙されないぞ」と思っている老人ほど、容易く騙されてしまうのです。

―――それもそのはずでしょう。

変わりゆく時代動向に無関心であれば、お金の使い方や支払い方法の多様化にも無関心なのであるのですから、相手にペースを掴まれたら言われるがままにしてしまうことでしょう。

騙されない人ほど「なぜ騙されるのか」「自分は騙されやすいから手口をしっかり知っておこう」と関心を持つのです。

老後のお金の管理の仕方を考えるきっかけにするためにも、クレジットカードは定年退職する前に必ず作っておきましょう。

新聞・テレビに依存した情報生活を止めよう

新しいものに敏感になるためには、新聞・テレビだけに依存した情報生活をやめましょう。

近年、スマホの普及に伴い、若者の情報源はインターネットへと移行しています。

若者の〇〇離れとはよく言いますが、事実、新聞やテレビは若者離れが進んでいます。

そのため、主な視聴者である中高年向けの番組が増え、中高年の作った番組を見て「今時の若者は〇〇だ!」と信じ込んでしまうわけです。

いわゆる印象操作です。

中高年向けの新聞やテレビは、それ自体がもはや老害化のきっかけとも言えます。

さも「最新」「常識」「流行り」であるかのように語られる情報も、実際の若者の生活を見ればまるで違った…ということも日常茶飯事です。

社会人の回覧板として有名な日経新聞も、最新の情報が書いているかのように思えますが、その実は中高年の世間話の種にしかならないような記事が多いことがわかってくるでしょう。

技術についても最先端かと思うかもしれませんが、海外企業のホワイトペーパーの方が当然ながら最先端と言えますからね。

「新聞を読んでいれば事情通」「TVで流行っているものが最新」と思いがちですが、それが実は最先端でも常識でもなかったことがおわかり頂けるでしょう。

そもそもが、新聞紙や紙媒体やTV番組自体が、インターネットメディア発達に伴い、近年では中高年による中高年のための中高年の情報媒体になっています。

試しに新聞紙に掲載されている広告を見てみてください。

驚くほどに、若者向けの広告がないことがおわかりいただけるでしょう。

「新聞やTVをチェックしていれば最新の情報がわかる!」という意識そのものが、すでに老害化の前触れとも言えます。

インターネットの情報をチェックしてみてください。

いかに新聞やTVの情報が偏っていて、あなたの認識の世界が狭かったかを思い知らされることでしょう。

自分が偉いと思っている

老害になりやすい中高年は、自分が偉いと思い込んでいます。

たしかに、あなたは社内や家内では偉い立場でしょう。

しかし、少し外に出れば、あなたはただの中高年でしかありません。

これは年功序列・亭主関白が一般的であった、前時代の化石のような価値観に起因しています。

歳をとって経験を積めば、椅子に座っているだけでも給料が貰える…という立場の人もいるはずです。

しかし、それは場所を変えれば、ただ椅子に座って講釈たれているだけの「害を撒き散らす」存在に早変わりです。

「俺を誰だと思っているんだ?」

という威圧も、会社や業界では通用するかもしれませんが、他の会社や仕事をやめた後はまったく通用しません。

定年を迎え、仕事をやめてしまえば、あなたはただの老人です。

仮にあなたが定年後になんらかの理由で再就職しないといけなくなった場合、そのような思い込みはかえって仇となります。

偉いだけで対して仕事しない上司…なんてものはどこの会社にもいるかと思いますが、それが許されるのは会社内での経歴があるからです。

しかし、それは会社が変われば、ただの偉そうな新人でしかありません。

そのような人は、コンビニのバイト店員ですら務まらないことでしょう。

会社で部下をこき使うことに慣れた中高年が、一銭も落とさないクレーマーの若者に「申し訳ございません」と頭を下げることができるでしょうか?

新しい分野に挑戦しよう

「自分は偉くもなんともない」という認識を身につけるために、思い切って新しい環境に飛び込みましょう。

たとえば、自分の仕事や業種とは一切関わりのないセミナーなどに参加してみてください。

他業種や自分より若い層が意欲的に勉強している光景は刺激になることでしょう。

自分よりも若い人が、自分よりも色々な知識を持っていることは一種のカルチャーショックにもなります。

また、自分と同じ年齢層の人が、貪欲に向上心を持って勉強している様を目撃したならば、人生観も少しは変わることでしょう。

「自分は大したことない」という謙虚な認識は、新しいものを取り込む時に必要な土壌です。

経験という不純物の詰まった土では、新しい芽は生えてくることはありません。

新しく飛び込む場所をしっかり見定めれば、まるで学生時代のような、ギラギラとした野望が燃え上がり、あなたの青春は再び息を吹き返すことでしょう。

他人の意見を尊重しない

老害化する中高年は、他人の意見に耳を傾けません。

自分の成功経験を絶対だと信じ込んでいるからです。

自分が成功した方法が絶対、自分が失敗した方法は間違い、だと決めつけてしまうのです。

「そんなことは出来るわけがない」
「オレもこうだったからお前もこうしろ」

全ての判断基準が自分の経験を基に構成されます。

かの鉄血政策で知られるドイツのビスマルクは「愚者は経験から学ぶ、賢者は歴史から学ぶ」と言いましたが、愚者たる老害は経験からしか物事を判断できないのです。

あなたの数十年の経験など、長くに渡る歴史から見れば、無に等しいものです。

賢者は「自分は無知」だという謙虚な自覚を持ち、学び・知り続けるからこそ、賢者であり続けるのです。

この世には人の数だけ、歴史と物語があり、そこから生み出される意見に無駄なものなど一切ありません。

他人を知ることで自分を知り、他人を知ることで世界を知ることができます。

こうして、この文章を読んでいることもまた、他人の意見を知ることのひとつです。

私の文章を読んで「そんなことは思いつきもしなかった」と思っているのならば、まだまだあなたは知らないことがあるということです。

他人と交流しよう

自分の知見を広めるために、社外や家庭以外での交流の機会を広げましょう。

セミナーやイベント参加、趣味の輪を広げるなど、交流の幅を広げることは思っている以上に簡単です。

なんせ、世の中にはたくさんの人で溢れかえっているわけですから。

名刺交換など挟まずとも、他人と交流を深めることはできます。

また、最近ではビデオチャットなどでも容易に見知らぬ他人との交流は可能です。

他人は自分を写し出す鏡です。

定期的に他人と交流を持ち、自分が老害化していないか確認しましょう。

接客の会話はただの「サービス」

老害がよくする行為に、店員を捕まえて延々と自分の事を話すという行為が挙げられます。

老害にとっては世間話のつもりでしょうが、他のお客や店員にとっては大迷惑…なんて、よく見る光景です。

これは、もはやハラスメントの域とも言えます。

ハラスメントは嫌がらせ・いじめという意味を持ちます。

相手は接客業という性質上、あなたの話を拒めないわけですから、立場を利用した立派なハラスメント行為です。

部下の女子にセクハラトークをかます中高年男性も、キャバクラとそれ以外の女性との会話の違いを心得ていないのでしょう。

読書をしよう

他人の考えを知るためには、読書も効果的です。

ビジネス書などではなく、エッセイや文学など、普段役に立たないと思っている分野に手を伸ばしてみましょう。

そこには、自分も考えたことないような世界や、自分だけが抱えていると思い込んでた悩みがたくさん存在します。

自分など、世界から見ればちっぽけな存在だとも気づきますし、けれどかけがえのない存在であることにも気づきます。

多くの成功者が読書の習慣を持っているのも、他者の考えを知ることで、自分をしっかり保つためであったとも言えますね。

いつまでも自分が安泰だと思っている

老害となる中高年はいつまでも自分が安泰だと思っています。

日本の終身雇用制度は、それ自体が安泰志向を意味しています。

会社に入って経歴を積めば、老後まで安泰して暮らせると錯覚させます。

ですが、周知の通り高齢化社会により破綻ギリギリの年金制度を始め、もはや政府は信じられない時代になってきています。

東北震災を見てみてください。

安全神話と語られていた原発はいとも簡単にその嘘を見破られ、困った時には国に助けて貰えると信じ切っていた被災者は、苦しい生活を余儀なくされます。

他者に頼り切って安泰だと思っている生活など、こうも簡単に崩れてしまうと、現実は示してくれたわけです。

これは何も政府に限った話ではありません。

身近な人も、あなたが老害化して厄介な存在になれば、たちまち疎遠になることでしょう。

家族とて、いつまでも同じ距離感で存在するわけではありません。

子供は自立してやがて結婚して親元を離れていきますし、昨今の不安定な状況では、子供からの支援に期待することも不安が残るでしょう。

そして、身体は老いていきます。

自分の足で歩けなくなった時、私たちは誰かに助けてもらわなければなりません。

「たとえ孤立しても、お金を払えば介護してもらえる」とお考えでしょうが、介護職は慢性的な人材不足の続く業界です。

この社会情勢で、誰もが十分な介護支援が受けられると思いますか?

もしあなたが孤立するような老害となってしまえば、介護センターでも同様の扱いを受けるでしょう。

いくら金を払おうが、あいては人であることを忘れてはなりません。

関わっていて気分がいいあいてなら優しく接しようと思うものですが、害を巻き散らかすような老人など、仕事で仕方なく接するだけで終わるのがオチです。

いくらあなたが立派な経歴のあった社会人であったとしても、介護を受ける「お客」の立場になれば等しく平等の存在となります。

「お客様は神様」とは言いますが、だとするなら神様は多数存在するわけです。

人は、よりご利益を与えてくれる神様に尽くし、害を巻き散らかす疫病神には誰も近寄りません。

健康に気をつかおう

健康には気をつかいましょう。

「今まで出来たことが肉体的に出来なくなる」ことは、精神的にも堪えます。

視力が衰え今まで見てたものが見えなくなる、聴力が衰え家族の話が聞けなくなる…。

健康な肉体にこそ健康な精神は宿るとは言いますが、まさにその通りでしょう。

身体の不調は他者と分かち合うことはできません。

独りで抱え込まなければならない問題として、あなたの精神をむしばんでいきます。

「誰にもわかってもらえない」という恐怖は人を孤独にします。

医者は病気を診断して治すための方法を教えてくれますが、あなたの精神まで治してはくれません。

今、健康だからといって油断せずに、毎日健康を意識した生活を送りましょう。

お金について学ぼう

余裕のあるうちに、老後の資産運用について学びましょう。

年金が絶対安定でないことは、もはや誰の目から見ても明らかです。

政府の政策ひとつで、生活が一変してしまう恐怖に、あなたは耐えられるでしょうか?

貯金があれば、株式投資や不動産運用などで、年金に依存しない収入を得ることも可能です。

お金に関する知識があれば、老後も社会的弱者として、政府や社会情勢に怯えることなく、豊かに暮らすことができます。

とくに日本の企業は税金天引きの上に、一般世帯では貯蓄が当たり前で投資に関する意識は低いものです。

お金に関する知識が人一倍あるだけで、他と差をつけることが可能なのです。

無趣味・楽しめるものがない

老害となりやすい中高年には、これといった趣味がありません。

プライベートで打ち込めることがないということは、仕事を心の拠り所としてしまうため、仕事での自分の立場を一層絶対的なものだと思ってしまうわけです。

趣味といえば酒やたばこ、パチンコといったギャンブルしかない人も、多くが無趣味と言えるでしょう。

たとえば、色々な銘柄の酒やたばこを求めて、日々知識を深め、旅行などにも行くほどであれば、それは趣味といってもよいでしょう。

しかし、毎日仕事から帰って同じ銘柄の酒を飲みつぶすだけの生活であれば、それは趣味とは言い難いでしょう。

「お酒が趣味です」と言って会話のきっかけにしてみたとしても、「いつもお酒を飲んでいます」と答えれば話は広がりませんが、「色々な銘柄のお酒を求めて旅行しています」と言えば話は何倍にも広がります。

趣味とは、すなわち好奇心の探求を意味します。

知ることや変わることをやめ、毎日同じような生活を送っている人は老害と化します。

たとえば、毎日飲んでいる銘柄のお酒が値上がりすれば「なぜ高くなった」とスーパーで怒鳴り散らし、生産中止ともなれば生きる気力もなくなることでしょう。

無趣味な老害は、自分の生活が楽しくないから他も楽しくないべき、自分の知らないことを知っている人は気に食わない…など、謙虚さを失い、心が貧しくなっていくわけです。

趣味を持とう

老後を見据えて、長く続けられる趣味を持ちましょう。

現代では多種多様な趣味があるため、悩みそうなものですが、そういう場合は子供の頃の夢を思い出してみましょう。

老後は第二の人生とも言えます。

子供の頃のように無心に夢を追いかけるための趣味に熱中してみるのもいいでしょう。

たとえば、ギターでもいいですし、毎日コツコツ積み重ねられる盆栽でも構いません。

有名なギタリストは老人になっても、素晴らしい音を奏でてくれます。

盆栽は毎日変わっていく木々の光景を楽しむことができます。

趣味は飽くなき探究心と、毎日変わっていく自分を楽しむことのできる世界です。

生涯学習で楽しく学ぼう

趣味の一貫として、生涯学習を実践してみるのもいいでしょう。

何歳になっても、新たな分野を学ぶことは楽しいことだと気づくことでしょう。

今まで「成績のため」「仕事のため」という強迫観念に縛られていた学習とは違い、自分の興味のある分野の見識を広めることは、生き甲斐にもつながります。

まとめ:時代をつくるのは老人ではない

私も「老害」と呼ぶに相応しい、まったく尊敬できない老人を数多く見てきました。

その特徴は「自分が正しい」という無根拠な自信に由来しています。

まったく自覚がない、そして指摘してくれる人もいない、いても耳を貸さないから。

だからこそ、老害は生まれるのだと確信しました。

「井の中の蛙大海を知らず」とは言いますが、まさにその通りです。

あなたがいくら会社や家庭では偉い人間だったとしても、他の世界ではそんなことは関係ないのです。

定年退職をしたならば、どんな立派な経歴があろうと、老人という社会的弱者に分類されてしまうのです。

考えていただきたいのは「老害」という言葉が生まれた背景、高齢化社会・年金制度の国庫負担という事実です。

「老人にはやさしくしろ」という道徳はすでに崩壊し、その結果「老人は害」と思うことをもいとわない価値観が若者の間で生まれたのです。

昔ならば「年上は敬え」「老人には親切に」という考えも通用しましたが、現在では通用しません。

むしろ、若者にとっては老人は敵ですらあります。

昨今の若者にとっての苦しい労働環境の原因は、時代をつくりあげた老人のせいでもあるからです。

その責を追わず、年金を貪り死を待つだけの存在に、どうして若者が尊敬の念を抱けようものでしょうか?

こういった若者の認識の中で、余生を豊かに過ごしたいのであれば、老害化せずに、若者からも尊敬される人間にならなければなりません。

高齢化社会はすなわち、多くの老人のライバルが存在していることを意味します。

害を撒き散らす老人よりも、人生経験に裏打ちされた知識や経験で何かを与えてくれる老人の方が、多くの人に好かれることは明白です。

時代をつくるのは老人ではありません。

定年退職したのならば、それはもはや隠居の身です。

座して時代動向を見守る余裕こそ、人生経験を積んだ老人が為すべき生き方でしょう。

若者が道を誤ろうものなら手を差し伸べ、時代が変わるときは素直に変化を受け入れる。

定年退職したのならば、今までのような偉い立場はなくなってしまいますが、それはすなわち肩の荷が降り、あなたを縛り付けるものがなくなったということでもあります。

今までの生き方にとらわれず、「老害」などと呼ばれぬように、第二の人生を豊かに謳歌しましょう。

それが「生きる」ということではないでしょうか?