私は過去に、障害者福祉施設に職員として勤務していました。
私が障害者施設に勤務した理由は、小中学校時代にクラスメイトだった障害者と関わった体験が大きかったです。
クラスメイトは言語障害があり、言葉で通じ合うことは困難でしたが、私はそんな彼女で仲良く接していました。時に笑顔になったり、よくわからないことで怒るなど、他の健常者とはコミュニケーション方法が違うのだと思うと、私はむしろ彼女と接することが楽しく感じることもありました。
その後、私は高校から短大まで、障害者のことについて勉強して、社会福祉に貢献する仕事に就くことを目指し、新卒後無事に障害者福祉施設に勤務することになりました。
障害者福祉施設とは名ばかりの、悲惨な職場
「障害者福祉施設は、障害者の方々のために貢献できる、立派な仕事」
まだ学生気分の抜けきっていなかった私は、そんな青臭い理想を胸に、仕事を始めました。
前述の通り、私は障害者の方と接することはとてもやり甲斐を感じ、辛いこともすべてやり甲斐だと感じることが出来ると自負しております。
ですので、仕事内容自体は辛いとは思いませんでした。
問題は、現場で働く職員たちでした。
障害者福祉施設で働く職員は、はっきり言って異常な人が多いです。
というのも、平然と障害者を差別するような人間が、たくさんいるからです。
私みたいな「やり甲斐を持って障害者福祉に勤める」という人は、少数派です。
いえ、あるいは職場の環境や仕事の大変さに心が飲まれて、異常な人間になっていくのかもしれません。
障害者差別を行う、福祉施設の職員たち
まず、私が直面した障害者差別は、職員たちの陰口でした。
信じられないことに、
「〇〇さんも、障害者を見下すためにここに入ったの?」
…と、耳を疑うようなことを言ってきたんです。
私は「いえ、違います」と答えると、
「そんなんじゃ、ここじゃ長く続かないよ?障害者はモノと思って仕事しないと、いつか精神病むよ」
などと、平然と障害者の人権を踏みにじることを言い出すのです。
これは序の口です。
ひどい場合は、相手が言葉を聞こえないことをいいことに、障害者相手に信じられない罵声を浴びせている職員もいました。
職場でも口を開けばみな、利用している障害者の悪口ばかりで、正直私はおかしくなりそうでした。
異常すぎる勤務体制
そんな異常な人間関係の職場では、仕事のシフトも異常でした。
二交代制でもあるに関わらず、やむにやまれず連日出勤になることもままありました。
その理由は単純に、人手不足だからです。
離職率も高く、私が辞めるまでの1年半の間に、10人ぐらいは入れ替えがありました。
よく介護職の過酷な現場の実態が報道されていますが、障害者福祉施設も負けず劣らずの、過酷で異常すぎる環境が慢性的に続いています。
障害者相手の重労働と精神的負担、それに加えて過酷すぎる労働体制という三重苦が、職員たちの精神をおかしくしていくのだと感じました。
私はそんな過酷な環境にもめげず、必死で働き続けました。
私が障害者福祉施設辞める決断をした”あの事件”
そんな私は、なんとか障害者の方と接することをやり甲斐だと感じ、仕事し続けました。
つらい仕事でしたが「障害者のために尽くしたい」という思いと若さだけで、なんとか続けていた状態でした。
しかし、そんな私の思いを揺るがす最悪な事件が起きて、報道されました。
戦後最大の殺人事件となった、あの「相模原障害者施設殺傷事件」という痛ましい事件です。
相模原障害者施設殺傷事件とは?
相模原障害者施設殺傷事件は、2016年(平成28年)7月26日未明、神奈川県相模原市緑区千木良476番地にある、神奈川県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に、犯行当時26歳の元施設職員の男Aが侵入し刃物で19人を刺殺、26人に重軽傷を負わせた大量殺人事件である。第二次世界大戦後の日本で発生した殺人事件としては犠牲者の数が最も多く、戦後最悪の大量殺人事件として日本社会に衝撃を与えた。
事件の悲惨さはともかく、私は加害者の供述に身震いして涙しました。
なぜなら、その被害者の言っていることは極端すぎるにしても、同様の言い分を私の職場でも聞いたことがあるからです。
私は学生時代に、ナチスの障害者差別についても学んでいたので、そういった考えがあることは知っていました。
ですので「どうすればそんなことにならずに済むのか?」と思った上で、障害者福祉施設に勤めていたところもあります。
しかし、現実は厳しいのです。
過酷な労働環境や、現実的な費用・雇用の問題で、あの事件のような犯罪者が生まれてしまう土壌が、社会に出来上がっているのを、私は職場で実感してきているんです。
そのため、あの事件は他人事とは思えませんでした。
この先、いつあのような事件に巻き込まれるかもわかりませんし、あるいは自分が精神的に病んだ時に、ああなってしまう怖さもありました。
あの事件で私が実感したことは「理想や思いだけでは、仕事はやっていけない」という、当たり前の現実でした。
半年間の休養期間
私はあの事件を契機に、職場を辞めることにしました。
実家暮らしなので生活には困りませんでしたし、今まで忙しかった分、これからについてしっかり考えてみるために、半年間思い切って休むことにしました。
あの事件のその後の動向を見守りながら、改めて障害者と社会の在り方について、自分なりに考えをまとめて、今後どう生きていくか考えるための、有意義な休養期間となりました。
転職エージェントで込み入った相談をしました
その後、私は接客業でアルバイトする傍らで、転職エージェントという転職支援サービスで転職先を紹介してもらうことにしました。
最初はハローワークや大手求人サイトで職を探していたのですが、前職での不信感から、どこの求人も信用できない状態に陥っていたからです。
そこで転職エージェントというサービスを知って、思い切って専門家に私の心情を話し、自分に向いた仕事を紹介してもらおうと考えました。
転職エージェントではプライバシーにも配慮されていますので、前職の不満や事情なども落ち着いて話すことができ、担当の方も私の意図をくんだ上で仕事先を紹介してもらえました。もともと、障害者支援にも力を入れている転職支援サービスでしたので、私の社会と障害者の在り方についての考えに共感してもらえ、真摯な対応をして頂けました。
障害者支援に関わる仕事に転職しました
その後、何度も相談やアドバイスを経て、私は障害者の社会支援に関する民間事業から内定を頂くことになりました。
決め手は前職での過酷な職務経験と、そこで培った障害者と社会の在り方についての持論とのことでした。
勤め先の民間事業も、障害者の社会支援の理想と現実に常に悩み続けて挑戦している会社で、まさに「企業と同じ悩みを持つ人材」として、私は高く評価して頂けました。
業務内容は多岐に渡り、障害者に就職支援の提案や、障害者施設の業務改善に向けた事業アイデアなど、今まで障害者の社会支援について向き合ってきた私だからこそ、続けられる仕事だと自負しています。
もっとも、障害者自身と触れ合う機会が少なくなってしまったため、たまにボランティア活動などに参加したり、あるいはボランティア自体を企画・提案して、決して事業側の独善で終わらないようにも勤めています。
障害者福祉施設の異常な環境で働いている方へ
最後に、転職を成功させた私から、同じ悩みを持っている方へアドバイスです。
あの事件にも代表されるように「障害者にも社会支援を!」と言っていても、理想と現実のギャップは著しいものがあり、現場では過酷な労働に精神を病む人も多いのが実情です。
残念ながら、理想や想いだけでは、障害者を助けることは難しいのです。
何も障害者と関わる現場で仕事し続けるだけが、すべてではありません。
少しずつ、社会の仕組みを変えたり、障害者でも活躍できる機会を作っていく道もあるのです。
また、障害者福祉施設のような過酷な現場で働き、障害者が嫌いになってしまっている人も、あの事件の加害者のような過激な発想になる前に、一度他の仕事に就くことを考えてみてください。
日本では健常者でも格差が進んでいますが、やはり理想だけでは平等は実現できませんし、その理想の下には、過酷で残酷な現場があるんです。
あの事件のような悲しい出来事を二度と起こさないためにも、自分の能力を活かして社会貢献できる、自分に合った仕事を探しましょう。
転職エージェントを有効活用し、自分に合った仕事を
自分に合った仕事を見つけるなら、転職エージェントを利用することをおすすめします。
自分の適正に合った仕事に就いて能力を最大限に発揮することが、社会貢献にもつながり、その先に障害者にも優しい社会があると思うんです。ただ、法律や施設だけ作るだけでは、今のような過酷で劣悪な労働環境しか生まれません。それは私が現場で知った事実です。
転職エージェントでは面談をした上で、本当に自分に合った職場を紹介してくれます。非公開求人も多く取り扱っており、ハローワークや求人サイトでは見つからない求人も紹介してもらえます。
転職が初めての方でも、履歴書・職務経歴書の作成から面接の指導まで徹底してサポートしてくれた上で、転職先への前評判などをエージェントの方が伝えてくれるので、転職を成功させやすいです。
また、転職先の社風や人間関係も教えてくれるため、障害者福祉施設のフタを開けてみれば職場の人間が酷すぎた…というリスクも下がります。
転職エージェントは利用は完全無料で、しっかり相談に乗っていただけるので、私のような悩みを抱えている方は、一度利用してみてください。