「理解力のない人と関わると疲れる」
「頭の悪い人と話すとイライラする」
対人関係において、こうした悩みは絶えません。
とくに頭の良い人ほど、こうした悩みに直面しやすいです。
今まで周りに頭が良い人ばかりだったせいで、世の中に「バカが多い」という事実に気づいていないからです。
一方で「話がわからない人=理解力がない人=頭の悪い人」と短絡的に決めつけるのも危険です。
話が通じるか通じないかは「頭の良し悪し」というよりは、メンタル面やお気持ちの問題が大半だからです。
この記事では、頭の悪い人との関わりで疲れる原因を深堀りし、最適な解決策を探っていきます。
理解力がない人の特徴
関わるとなぜか疲れる、理解力がない人。
そういった人物にはどういった特徴があるのか?
なぜこんなにも話が噛み合わないのか?
その理由について、解説してきます。
話が通じない
「この人、理解力が低いな…」と強いストレスを感じるのが「話が通じない」です。
通常、他人と話をするのには「意図」や「目的」、すなわち「本筋」のようなものがあります。
ここがズレていると「話が噛み合わない」「話が通じない」と感じます。
たとえば、他社の営業が話かけてきたとしたら、大半の場合「売ること」が目的です。
わざわざ「私はあなたにこれを売り込みます!」と宣言して、営業を行う人はいないでしょう。
営業の人の話を聞く側も「良い提案があれば買ってもいい」と考えてるからこそ話を聞くわけであり、仲良くなりたいからではありません。
このように、大半の話には「裏の意図や目的」が存在します。
それも仕事の場となれば「用がある=目的がある」から話しかけているのです。
ところが理解力の低い人は、致命的にこの「裏の意図」に気づけません。
そのため、話の本筋を無視して見当違いの話ばかりをします。
たとえば、センスのない営業職の人は、相手が何かに困ってたり情報を欲しがっているにも関わらず、一方的に自社サービスの機能ばかり説明し続ける…といった形です。
最後まで話を聞かない
話が通じない人の理解力がなぜ低いのか?
それを考えたときにたどりつく結論が「最後まで話を聞かない」です。
これは文字通りの「話を聞かない」という意味ではなく、もっと深い「本当に理解するまで聴こうとする姿勢がない」ことを指します。
前述の「話の裏の意図」に気づくためにも、最後まで相手の話をよく聴き、意図や目的を探り出さなければなりません。
しかし、理解力が低い人は、それをしません。
あなたの身近にいる「理解力の低い人」を思い出してください。
おそらく「話を聞いてるようでまったく聞いてない」とでも言うべき、下記の特徴が見られるかと思います。
- 相手の言い分や考えを最後まで聞かないうちから決めつけで判断してくる
- 自分の都合の良い解釈で物事を受け取る
- 「わかったフリ」をし続ける(返事はするが理解してない)
- 自分の都合ばかり話してくる(過去の苦労話、自分は辛いんだなど)
これらのタチが悪いのは、一見すると「話を聞いてるように思える」ところにあります。
最初の段階では「この人はしっかり話を聞いてくれる」と思えますが、長く関わるうちに「あれ?変だな?」と違和感に気づきます。
最たる原因は「自分はなんでもわかっている」と勘違いしているからでしょう。
実際には「わからないことすらわからない」のですが、なまじ「わかってるフリ」だけは上手いだけに厄介です。
プライドが高いのか、見栄っ張りなのかは知りませんが「自分がわからないと素直に認めて、謙虚に聞く姿勢」がないのです。
これは意外と、上司や社長など上の立場の人間によく見られる特徴です。
悪い言い方をすれば「自分で自分のことを有能だと勘違いしてる無能」や「立場上、自分が無能であるとバレたくない目上の人」ほど、無自覚に陥りがちな特徴です。
否定から入る
理解力や頭の良し悪し以前に「こいつに話すだけ無駄…」と感じさせる人物の特徴が「否定から入る」です。
これは3タイプに分類できます。
- 責任取りたくないおじさん
- マウントを取らないと気が済まないヤツ
- 悲劇の主人公気取り
第一に面倒なのが「責任取りたくないおじさん」です。
最たる代表例は「どうすればこの問題を解決できるか?」を議論してアイデアを出しているときに「それは無理だ」「前例がない」など、批判ばかりで話の腰を折るような連中です。
自分たちで考えられない、決断したくない、あるいは責任を取りたくない本心を隠すために「前例がない」などと逃げ腰な態度を取り続け、巧妙に部下の責任にすげ替えます。
下の立場からすれば「お前らが決断したくないだけだろうが」と見え透いているところが、実にくだらないと感じることでしょう。
他にも多いのが「いちいちマウントを取らないと気が済まないヤツ」です。
マウントとは「自分の自慢話」や「他人の失敗を指摘」といった形で、自分が優位であることを誇示する行為を指します。
具体例としては、本筋とは関係ない場面で誤字脱字を鬼の首取ったように指摘したり、見当違いの論点で「それは間違ってます」「それってあなたの感想ですよね?」と批判してくるなど。
なお、批判や指摘してくる割に、自らの代案や改善案は出さない点もセットです。
多くの場合、マウント行為はその場の雰囲気を悪くしたり、人間関係を悪化させます。
つまり「やるだけ損」な行為です。
しかし、マウントを取らないと気が済まない人は、後先考えずに条件反射的に他人の揚げ足を取りたがります。
めんどくささMAX、もっとも話が通じないのが「悲劇の主人公気取り」です。
何度も行動や改善を促しているのに「でも」「いや」と言い訳したり、「自分は辛いんだ」「あいつが悪い」と他責にしてばかりで、一向に変わる気配がない人物です。
行動する前に「自分の気持ちをわかってくれる、恋人みたいな理解者」を求めるので、付き合わされる身としては途方もなく疲弊します。
社会人ともなれば「お前の都合や感情などどうでもいいから、やるべきことやれ」という理不尽の中、自分の役割を遂行しています。
しかし、こうした人物は、本質的に「自分の都合や感情を理解してくれる相手」を求めているので、何を言っても無駄です。
また、仕事でこのような主張してくる人物は「飲み屋で愚痴を吐く」「共感を求める相手を仕事外に設けておく」といった、人付き合いの切り分けもできていないことも見えてきます。
プライベートでどうにかするべき人間関係の悩みまで、社内に持ち込んでるとも言えます。
TPOの切り替えもできず、社員に依存しようとする精神が成熟できてない「幼稚さ」の現れと受け取られてもしょうがないことでしょう。
理解力のない人と関わると疲れる原因
以上のように「話の通じない理解力の低い人」を相手にすると、異様に疲れます。
その原因を結論づけるとしたら「わざわざ自分が労力を割くべきでない相手に、無駄にエネルギーを使っている」からと言えます。
そう言い切れる理由について、3つのポイントで解説していきます。
状況が変わらないストレス
理解力がない人を通すと、往々にして「話が進まない」「状況が変わらない」という事態に陥ります。
単に相手の理解力が低いだけなら「こいつは話が通じないバカなヤツだ」で終わる話ですが、そうならないのは「理解力が低い相手に話を通さないといけない」という環境要因があるからです。
なぜそうなるのかは「イライラする対象となる人物を通さないと何も変わらない」と思い込んでいるからです。
これは恋人間の関係でたとえると、非常にわかりやすいです。
彼女の収入でだらしない生活をしている彼氏…いわゆる「ヒモ男」がいたとしましょう。
彼氏に何度も「働いて」と直談判しても、一向に相手に変わる気配はありません。
彼女は、彼氏に変わってもらうために求人情報を集めるなど、途方もない労力を割きます。
しかし、彼氏は行動する気配すらありません。
そのうち、彼女は「どれだけ頑張っても無駄…」とイライラしたり、無気力になってしまいます。
外野から見れば「そこまでしても変わらない彼氏、君の努力に報いる気がないから別れれば?」と思いますが、当の本人は「自分が頑張れば、いつか相手が変わってくれるかも…」と思い込んでいるため、別れることができません。
また、現に起こった「どれだけ相手のために尽くしても、相手はまったく変わってない」という事実を受け入れられていません。
「自分の努力や想いに報いてほしい」なら、そうしてくれる相手を選ぶべきですが、それができない相手ばかりに固執します。
このように、多くの人は「自分が努力すれば、他人も変わるだろう」と信じがちです。
つまり、相手の理解力が低いことにイライラするのではなく、理解力が低い人を通さないと話が進まない状況であったり、それを断ち切れない自分自身にイライラするわけです。
コミュニケーションコストがかかる
コミュニケーションコストとは、情報を伝達・意思疎通にかかる時間や労力のことを指します。
理解力が低い人を相手にすると、コミュニケーションコストが異様に高くなります。
社会に出ると「一から順にすべて丁寧に説明してくれる」という状況は少ないです。
そのため「限られた情報から意図を探る能力」が求められます。
具体的には「書いてないことまで読み取る読解力」「本人が直接言ってない意図や目的を推察する洞察力」といった能力です。
そういった能力がない人を相手にするほど「一から順に、相手にわかるように説明」しないと理解しようとすらしません。
また、コミュニケーションを一種の「交渉」と考えた場合、自分自身が譲歩しないと話が進まないため、負担が増えてしまう点もストレスです。
たとえば、専門知識がない人相手に「わかりやすく説明する」というのは、勉強した上でわかりやすくするまでの苦労を自分が背負うこととなります。
あるいは「自分の気持をわかってくれる相手じゃないと話したくない」という厄介なおじさんは、飲み屋で接待するなど面倒なコミュニケーションが必要とされます。
共感や理解が得られない虚しさ
理解力のない人を相手にし続ても、まったく共感や理解が得られないと、イライラを越えて虚しさや呆れの感情が強くなってきます。
必死に会社に「これが必要!」と訴えかけているのに誰も聞く耳持たずで、そのうち「あいつはいつも変なことばかり言ってる」という風に見られるというのが、末期状態です。
ここまで来ると、もはやどれだけ自分が正しいことを言っていても、相手側からすれば「あいつはいつも余計なことばかり言ってくる邪魔なヤツ」ぐらいに見られています。
状況が進まないことに加え、自分自身が理解を得られずに孤立してしまう状態こそ、最大の疲れる原因だと言えるでしょう。
理解力の低い相手への対処法
相手に期待しない
結論、話のわからない頭の悪いヤツと関わると疲れるすべての原因は「相手に期待している」からにあります。
理解力のない人や頭の悪い人に対し、少しでも「理解してほしい」という期待があると、話がすれ違うたびにイライラすることとなります。
逆に、対人経験を積んで「頭の悪い人はこういうパターンで動く」「なのでこういう風に付き合っておけばいい」とわかってくると、なんの期待もしなくなります。
「IQが20違うと話が噛み合わない」という俗説があります。
これは知能レベルが同程度でないと、話が噛み合わないことを示唆しています。
つまり「頭の良い側がバカに合わせるしかない」ということです。
IQの問題は置いておくとしても、話の理解が早いかどうかには、
- 話を理解するための基礎教養や専門知識
- 断片的な情報から主旨を掴む洞察力や読解力
- 話をしっかり聞くための姿勢や意識
- その人が培ってきた人生経験
など、総合的な能力が求められます。
相手に理解力がないと感じたら、そこからわかるのは「相手の能力が低い」という情報ぐらいです。
そこで「相手の能力を引き上げたい」「自分の話を理解させたい」と感じているのであれば、それが本当に今の自分に求められてる役割かどうか、冷静に見直しましょう。
「過ぎたるは及ばざるが如し」という故事成語があります。
相手に不相応な知識や発言を与えてしまってはいけない…ということです。
時間をかけて説得する
どうしても相手に変わってほしいと期待するなら「時間をかけて説得する」というのが定石です。
とくに立場上「部下に育ってもらわないと困る」「上司や経営者に動いてもらわないと困る」といった場合には、時間をかけて徐々に考え方を変えさせる慎重さが求められます。
ただし、人の考え方を変えるには、忍耐力と労力を要します。
「相手にそれほど労力を割く価値があるか?」
この問いに対する答えがNOなら、説得しようとするだけ無駄な努力に終わることでしょう。
話のわかる人と重点的に関わる
仕事においては、話のわかる人がいないと進行しない場面が多々あります。
他人に期待しないと言っても、それはあくまで「一個人に固執するな」といった意味合いでしかありません。
多数の人と関わりを持ち「話のわかる人」を見つけ出すこと事態は、しておいて損はないでしょう。
たとえば「この分野の話はこの人に相談すればいい」という知り合いがたくさんいるだけでも、困ったときにすぐ頼りやすくなります。
また、仕事にしても「職場の大半の人が同じ認識を持っており、生産的な話し合いができる」「上司の理解が早く適切なフォローをもらえる」というだけで、仕事のやりやすさが驚くほど変わってきます。
転職を考える
仮に今の職場で理解力がない相手に苦しめられているなら、転職してしまうのも一つの手でしょう。
とくに理解力がない人が上司や経営者レベルだと、一社員の力ではどうしようもないです。
そもそも、会社の変革を一社員に委ねること自体が間違いです。
仮に、会社に変わる気があるなら、具体的な方針を示していたり、何らかの対策を練って、説明してくれてるはずです。
それすらできてない時点で、変わる気がない…というよりも「変えるための能力が会社にない」と言えます。
他人に期待するだけ無駄な労力で終わりやすいですが、自分自身を変えるのは自分の行動次第でどうとでもなります。
また、知られざるリスクとして「バカに合わせると自分までバカになる」というものがあります。
あまりに話が通じない人ばかりの環境に居続けると、自分の知能まで周りに合わせて低下してしまいかねない…ということです。
しかし、しっかりと転職先を選べば、話のわかる相手と仕事ができ生産性が高まり、無駄なストレスを減らせます。
ある調査では「経歴が違ってもIQが同じぐらいだと、40歳ぐらいで似たような年収に落ち着く」というデータがあります。
ここからわかるのは「どんな経歴であっても、最終的には自分の能力に合った場所に落ち着く」ということです。