「職場の上司がミスを許さない完璧主義者で疲れる…」
「完璧主義者の言動はうざいしめんどくさい…」
「自分はできないくせに完璧主義を強要される職場にストレス…」
このようにお悩みではありませんか?
多くの人々が、日常の至る場面で完璧主義者と関わることはあるかと思います。 完璧主義者は優れた能力を持つことがあり、細部にまで気を配り、高い水準を追求して仕事を完遂することで知られています。しかしその一方で、完璧主義的な性格は周囲に深刻な被害をもたらすことも少なくありません。
たとえば、完璧主義者は常に自己に厳しいため、自分の仕事や成果に対して厳しいことは当然ながら、この理想主義じみたこだわりや厳しさを、自分自身だけでなく周囲の人々も当たり前に追い求めるものだと共用し、大きな負担を強いることになります。
完璧主義者の求めるレベルは非現実的に高く、他人に課す期待は常に限界を超えています。
そのため、完璧主義の要求を満たすためには、周りの人間も必要以上に完璧である必要があり、他人に対し過剰なストレスと疲労を抱えさせることとなるのです。
また、完璧主義者は自己批判的な傾向があり、ミスや失敗をことを許さない性格であることで知られています。その結果、周囲の人々はいつも緊張感や恐怖心をを抱くこととなり、クラッシャー上司として恐れられることもあります。
完璧主義者の要求に応えることは容易ではありません。 彼らの追求する完璧は理想的な世界に近く、常人には到達しがたいものです。
しかし、この記事は完璧主義者の人格を批判するものではありまんせん。 完璧主義の追求は彼らの強みでもあり、優れた成果を生み出すこともあります。そういった性質をうまく活用し、バランス良く付き合う方法をご紹介していきます。
完璧主義者が生まれる原因
とはいえ、完璧主義者が生まれやすいのは、日本人の伝統や気質などの環境要因もあるため、まずはそこから考えていく必要があります。
もともと、日本人は昔から「失敗すれば切腹して死ねばいい」というほど真面目で完璧主義気質がありました。その上「失敗は恥」という文化もあるので、必然的に失敗を恐れる完璧主義者がたくさん生まれてくるのです。
まあ、若者の
- 就活失敗したら自殺
- ドロップアウト組にはまともな将来はない
- 選挙で「間違った選択をしたくないから」という理由で選挙権放棄
…などの事例を見ていますが「間違ったらいけない=完璧主義傾向」が生まれてしまうわけです。
教育委員会や文部科学省のバカどものせい
完璧主義者を多く生み出している原因は、間違いなく教育機関のせいでしょう。
テストで「正解と間違い」の二択しかない不自由な教育を絶対のものと教え込み、同調圧力で多様性や個性を否定するという、歪な教育が未だにまかり通っているため、間違った完璧主義思考が形成されてしまうわけです。
完璧主義者=融通が利かない…というわけですが、そもそも間違いを許容できないバカな教育機関が社会人を送り出す構造そのものがもはやギャグですね。
教育委員会絡みの不祥事を見ていればわかりますが、頭の堅い完璧主義者が内部に紛れ込んでいるせいで、未だに古くさい時代遅れな教育に日本人は足を引っ張られ続けています。
失敗を叩く陰湿なマスコミのせい
また、完璧主義者が生まれる原因として、マスコミの陰湿なまでの「失敗者晒し上げ、批判」という報道の仕方にも原因があるでしょう。
ニュースを見れば、連日誰かの失敗を揚げ足取りって叩きまくっていますね。
これは暗に「失敗は悪いこと」と国民に刷り込もうとしているわけです。
このような低俗な他人叩きメディアを見続けては「失敗は悪いこと=完璧主義者」が生まれてしまうのも、仕方のないことです。
女が過剰な権利を主張しだしたせい
また、日本では弱者利権…つまり「声のデカイものほど得をする」ような、ゴネ得文化もあります。
過剰なフェミニズムなどが最たる例ですね。
フェミニズム利権を盾に権利を主張する女は「育児も男がしろ!」「家事も男がしろ!」などと、男に完璧主義を求めるような主張をします。
また、女性は母性本能で子育てを失敗しないようにと「失敗を恐れる体質」が強いわけですが、さらに「仲間外れされないように」「旦那に見捨てられないように」など、弱者としての防衛本能が働き、過剰な感情論やリスク回避思考で、完璧主義傾向になりやすいわけです。
そのため、妻が育児や教育に強い影響力を持った家庭で育った人や、女性が多い職場では、完璧主義傾向の強い性格になっていくわけです。
夫や男を立てることなどなくなり、女性のわがまま=利権ばかりが主張されるようになった社会が、完璧主義を生み出すようになった側面も見逃してはいけないでしょう。
関連記事:女性ばかりの職場を辞めたほうがいい理由。男一人の逆ハーレムは現実ではただの地獄です。
完璧主義を強要してくる日本社会への皮肉
学校教育もリ○ルートなどの求人市場も、建前上は「完璧な人間」を求めてきます。
完璧な人間など存在しないにも関わらず、完璧な人間を求めてくるわけです。
これは、現代社会が行き辛く感じる、一つの原因であるようにも感じますね。
接客業であれば、完璧人間の接客態度を求めてくるクレーマーもたくさんいますし、社会人も完璧なビジネスマナーを求めてきます。教育委員会のバカどもは「完璧!教科書通り!」という頭でっかちばっかりなので、校則を守れない人間も、多様性も認められないような、完璧主義のバカばかりです。
そんな「完璧主義を求めてくる日本の社会への皮肉」を吸収して、完璧主義を求めてくるバカたちからの洗脳を解きましょう。
I’m a Perfect Human
「PERFECT HUMAN」というネタが流行りましたが、あれにも「完璧を目指す人間の愚かさ」という、国民の共通認識が笑いの要素として隠されています。
企業や社会の求めるような完璧な人間になって「I’m a Perfect Human」とつぶやいてみても、そこに残るのは虚しさと他人からの嘲笑だけなのです。
私はロボットです
完璧主義の到達点と言えば「ロボット」と言えるでしょう。
ロボットは指示されたことを忠実に実行できる、完璧主義の理想とも言える存在です。
最近のインターネット・ITサービスでは「私はロボットではありません」という確認作業が必要な場合がありますね。
そこで、私は考えるんですよ。
「私とロボットとの違いはなんだ?あるいは、ロボットでない証明は本当に出来るのだろうか?」
私が誰かによって作為的に作られた「人間的な思考をしているだけ」のプログラム集合体であることの否定は出来ないわけですからね。まあ「哲学的ゾンビ」のような、思考遊びの類いですけど。
しかしそれは、極めて哲学的命題でもあり、はるか古来より哲学者が頭を悩ませてきた「自己の存在証明」という、哲学的命題の根源に迫るものでもあります。
これは今後AIが発展していく中で、人類の多くが抱えなければならない「心の闇=哲学」とも言えるでしょう。
哲学は「人間の不完全性を克服・許容していく学問」でもあります。
完璧主義を克服するには?
完璧主義は、教育課程から家庭の慣習、あるいは日本人の体質レベルで染み付いている思考であるため、簡単に克服することは困難です。
そのため、日常レベルで「完璧主義とは逆な考え・行動」を意識して実践して行くことが大切です。
では、具体的な例を紹介していきましょう。
手を抜くことを覚えよう
仕事では適度に手を抜くことも大切です。
どうでもいい所では手を抜いてもいいのです。
「妥協」「諦め」とも言いかえられますが、とにかく「手を抜くこと」を意識して仕事してみると、完璧主義思考を緩和していくことができるでしょう。
人の言うことは聞かなくてもOKです
また、いちいち人の言うことは律儀に聞かないことも、完璧主義から抜け出すためには大切です。
とくに上司や同僚が無責任に色々言ってくる職場もありますが、いちいち全てを真に受ける必要はありません。
たとえば、上司や経営者視点からしても「これ、どうしようない問題だよね」とわかってはいても、立場上は部下に「改善しろ!どうにかしろ!」と指示するしかないわけですからね。
そのため「他人の言うことは9割以上は見当違い」だと思って、自分の判断基準で動けるようにしましょう。
他人の言うことだけを聞いておけばいいのは、子供までですからね。
あれこれ安請け合いしているくせして、完璧主義でこなせない量の仕事を請け負う人は、ブラック企業を作り出す原因にもなります。
「確実に成功するためには?」と考えないこと
完璧主義者は「確実に成功するためには?」「絶対に失敗しないためには?」と、あれこれ綿密に考えてからでないと行動できません。
まず言っておくと、世の中の9割以上のことは思い通りに進まず、予期せぬ出来事が必ず起こります。
そのため、ある程度の計画だけ練ってから、さっさと始めてしまう方が合理的なわけです。
そもそも、絶対に失敗しないためには「一切行動しない」という最適解があるのですから、理想の完璧主義は「行動しない」とも言いかえられますからね。その分、絶対に成功することもありませんが。
理想を捨てずに、出来ることから始めよう
社会人の多くは「理想を言うな」「現実を見ろ」と言いますが、別に理想を捨てる必要はありません。
筆者は「いつか世界を征服する」という夢を持って生きていますが、こうしてブログを書いているのも世界征服実現の一歩でしかありません。
理想を達成するには、
果てしなく大きな理念と、野望の割に地味すぎるしょぼい努力
…が大切なのです。
元々「企業理念」と同じように、理想は叶わないことが前提にあります。
しかし「叶わないと諦めろ」とは一言も言っていません。
企業理念にしろ社会理念にしろ、達成するために日々精進していくことに価値があるのです。
「世界平和」は所詮は理想論ですが、そこに向かっているからこそ、社会が発展していってる事実は忘れてはなりません。
叶わない夢でも、果てしない理想でも、そこに向かって歩き続けているのであれば、ずっと胸に抱いていていいのです。
夢も希望もないまま、ただ与えられるがままに生きている無気力な大人よりは、100倍マシですからね。
完璧主義を克服して、自分らしく生きよう
日本人の完璧主義は、教育・国民性・マスコミ文化など、あらゆる外的要因によりかなり歪なものに出来上がっているように感じます。
失敗すれば徹底的に叩かれ、教育課程では「正解」を常に求め続けられます。
正解なんて存在しねえし、そもそも社会も人間も欠陥だらけじゃねーか!
…ということを念頭に置いておけば、完璧主義を目指すことがいかにバカバカしいかおわかりになることでしょう。
そもそも、完璧主義思考とは外的要因…「他人からの強要=強迫観念」から生まれるところもあるので、日本人の奴隷体質を助長させる結果ともなっています。
完璧主義思考は百害あって一利なしです。
実際、教育委員会やお役所仕事、あるいは前時代の発想のままの中高年経営層など、完璧主義思考が抜けきっていない頭の硬いバカも未だに多いですからね。
完璧主義から抜け出すことが、新しい時代を生き抜ける第一歩です。
職場の完璧主義者にうんざりしてるなら転職を検討しておく
当記事でご紹介した通り、職場内に過度な完璧主義者がいると、日々仕事の細かなことまで指摘されることで嫌になってしまって、やる気が低下する原因となります。
また、完璧主義であることがプラスに働くような職業であればともかく、世の多くの仕事は白黒ハッキリしない曖昧な中で上手くやり凌ぐことが重要となる職業も多いです。
いずれにしても、今の仕事で完璧主義を求められることに疲れ切っているなら、一度立ち止まって自分の今後のキャリアや本当に向いてる仕事を見つけ出す意味でも、一度転職活動を通して将来を考え直してみる価値は高いと言えます。
また、そもそもが職場内に過剰な完璧主義を求める上司がいたり、必要のないクオリティにまで過剰にこだわる組織体質が蔓延しているなら、それはあまり良い会社ではなく業績もよくないことで昇給も見込めない可能性もあります。
そういった「今の職場環境での過剰な完璧主義は本当に適切なのか?」を見極める意味でも、転職活動を通して他の会社環境や今の自分の経歴やスキルで通用する職種や業種のリアルを知っておくことは、転職するにしてもしないにしても、結果的に必ずプラスに働くことでしょう。