俺は、20代の高学歴ニートだ。
出身大学は東大。
よく、親戚や友人から言われるんだ。
「なぜ、東大を出てまでニートなの?」
「高学歴なのにニートかよ、親が泣くぞ」
「プライドだけは高い」
…って、な。
きっかけや理由は……もう忘れた。
俺は過去の記憶を、すべて頭の中から消し去ったのだ。
そして、世間と時間から取り残されるように、ただただ静かに過ごした。
「世界は、俺にまったく興味がない」
…そんな、気分だった。
俺は世界から愛されず、すべてから裏切られ、時間から取り残されただけの男なのだ。
そんな俺は、あるきっかけを経て、変わった。
これは、高学歴ニートとして鳥かごの中で眠っていた俺が、社会に向かって羽ばたくまでの物語だ。
すべてを食いつぶす「頭がいいだけの高学歴ニート」
高学歴ニート時代の俺は、文字通り「寄生虫」「頭がいいだけのバカ」そのものであった。
実家で寄生しネットで時間を潰すような、怠惰で無駄な毎日を、ただただ繰り返していた。
ネットでは、2chで高学歴の俺のすごさを喧伝して回り、俺より学歴の低い人間を、毎日論破し続けた。
もちろん、そんなことには意味がないとはわかっていたが、敗北者の俺は「何かに勝ちたかった」んだ。
ネットで「働け」「高学歴ニート乙」と煽られても、そんなものは論破するか、PCの電源を切ってしまえば、すべて丸く収まる。
そうやって、貴重な20代の時間を、ただ浪費し続けた。
高学歴というプライドが、ニートの心を殺し続ける
しかし、そんな俺は実は誰よりも弱く、愚かで、無能な存在でもあった。
かの「やるなら軍師」を叩く記事を見て「はあ?高学歴は軍師であるべきだろ?」などコメントするも、叩かれまくる始末。
世間は「高学歴ニートはプライド捨てて、バイトしろ」「高学歴ニートは肉体労働でもしとけwww新卒採用決まらなかった時点で無能だからwww」などと、俺の存在を否定し続けるではないか。
「俺は、俺は東大卒なんだよォオオ!!」
そうやって、ネットで自分の高学歴を誇っても、何一つ変えられない。
それは自分自身が一番わかってはいたが、同時に認めたくなかった。
俺が今まで必死で学んで積み上げてきた努力とは、一体何だったというのか?
就活に失敗しただけで、すべて無駄になるというのか?
…わからない、わからない、自分がワカラナイ。
そういえば「自己分析」ってやつも、途中でわからなくなって、投げ出したっけな。
正解を決められない、弱さ
俺の弱さは「正解が決められない」ところにある。
正解を見つけ出すことに関しては、負ける気がしなかったさ。
事実、国内最高峰の大学である、東大卒の学歴を持つのだから。
しかし、俺はただのデータベースだったのかもしれない。
「データベースは結論を出せない」
かつて、そういった友人もいたな。
毎日求人情報をにらみ続けても、どれが「俺にとっての正解」か、いつまで経っても答えが導き出せないのだ。
そして、俺はいつもこう言うのだ。
「こんな仕事は、高学歴の俺がする仕事ではない」とな。
そうやって、何度も「やらない言い訳」を心の中で唱え続けて、ただただ歳月が過ぎ去っていくだけの、虚しい日々を送り続けていたのが、高学歴ニートの俺の真実だ。
「存在と時間」
俺の愛読書はハイデガーの「存在と時間」だ。
「存在するとは何か?」という命題に迫り、ついには完結せずに終わったこの作品を読み解くことこそが、俺の生涯の勤めだと思っていた。
だが、そんなものは実社会では何の役にも立たない。
この世で存在を証明するために必要な手段は「金・権力・富・名声・地位・ステータス」の類なのだから。
声の大きい中身なしのバカが評価され、俺みたいな勉強のできる高学歴ニートは、踏みつぶされておしまい。
どんなに「俺の存在とは何か?」を理論で語ってみても、就活の面接で人事には苦い顔をされるばかりだった。
そうやって、俺の存在は常に否定され続けた。
そしていつしか、俺は「存在しないもの」として扱われだした。
…本当に”存在”とは何なのだろうか?
少なからず、高学歴ニートは社会的には「存在しているはずなのに実態はない=存在しない存在」なのは、間違いない。
きっかけは、耐え難き”死”
そんな俺が、劇的なまでに変わるきっかけは「幼馴染の死」であった。
その幼馴染は実は俺の初恋の人でもあり、それこそ、その幼馴染に「頭いいね!」と言われたことが、俺が有名大学を目指すきっかけであったりもする。
その幼馴染とも高校卒業後は疎遠になり、同窓会で顔を合わせたのが最後の記憶だ。
その幼馴染は、最悪なことに「自殺」したらしい。
どうにも、過労死みたいだったが、今や赤の他人である彼女の死に、あれこれ聞ける立場でもない。
俺はただ葬儀に参加し、呆然とするしかなかった。
そして、とっくの昔の感情を捨てた俺は、涙さえ流れなかった。
冷たい風にさらされた、俺はあの日から動けない
一体、俺の時間はどこで止まっていたのだろうか?
思い出さないようにしていた過去の記憶が、とめどなくあふれ出す。
どこかで「本当の自分」を押し殺して、ただただ勉強と学歴だけに自分のアイデンティティを求め、その先にある「大企業勤め」「勝ち組」だのの社会的ステータスを得て、多分その先で幼馴染の子にでも褒めて評価してもらいたかったのだろう。
俺が勉強に青春を捧げ、高学歴という虚しいステータスを得たのも、その程度の理由でしかなかったのだと思う。
思えば、俺は最初から自分の意志で生きていなかったのかもしれない。
俺の時間は、幼馴染に頭がいいと褒められた瞬間、テストで100点を取った瞬間、あるいは東大受験に受かった瞬間…その程度の瞬間で、止まったままだ。
そう気づき、俺は思わず泣いた。
俺の感情も時間も自分自身も、すべてどこかで止まり続けたままだったのだ。
皮肉にも、俺は始まりをくれた幼馴染に、また始まりを与えられた。
でも、もう死んだ彼女は、あの日のようには笑いかけてはくれない。
だけど、せめてあの日言ってくれた「頭いいね」という褒め言葉だけは、無駄にしたくない…俺に残されたのは、そんな儚い感情だけだった。
…俺が変わるためには「その程度のきっかけ」だけで、あまりに十分すぎた。
どんな企業の説明会や、親の説教、ネット越しの正論でも動かなかった俺の心は、たった一つの”幼馴染との儚い思い出”だけで、揺り動かされてしまったのだ。
闘志、燃ゆ
俺の闘志は、かつてないほどにメラメラと燃えだした。
俺がわざわざ「存在と時間」という哲学書の話をしたのは、他でもない「俺の存在は、過去・今・未来、すべての時間軸で存在するもの」と気づいたからだ。
過去の俺も、今の俺も、未来の俺も、すべてはひとつの存在でしかない。
よく俺は「過去にとらわれるな」「学歴にこだわるな」と言われたが、それは違うと思う。
お前らは、俺が恋した幼馴染の死を忘れろと言うのか?
あいつが言ってくれた「頭いいね」という言葉を、捨て去れと言うのか?
…捨てていいわけがない。
俺は死ぬまで、過去にとらわれ続けるぞ。
自分の知力や頭脳を無駄にしないために。
高学歴を飾りにしないために。
「頭いいね」と褒めてくれた、死んでしまった幼馴染のために。
これは、俺の社会に対する宣戦布告であり、挑戦状だ。
もう”迷い”など、ない
覚悟を決めた俺に、もはや迷いなどなかった。
俺の東大卒のブレインがフル稼働し、ありとあらゆる情報を高速処理する。
…ああ。
この感覚はいつ以来だろうか。
体が軽い。
心の奥底で闘志が目覚めるのを、ひしひしと感じる。
―――もう何も怖くない。
すべての求人情報、転職情報、企業研究・業界分析の情報群が、あっという間に頭の中で高次処理され、俺の中で瞬時に最適解が導き出される。
あとは、俺の優秀な頭脳に従い、ただ黙々と行動するだけだ。
そうすると、今まで「高学歴ニートで、なかなか職が見つからない」なんて悩みがバカらしくなるほど、一瞬で内定が決まった。
…高学歴ニートが本気を出せば、就職活動なんて、しょせんはその程度なのだ。
「瞬殺」
東大受験に一発で受かった俺が本気を出せば、まさにすべてが「瞬殺」だった。
高学歴ニートが就職するためのきっかけは「死、あるのみ」
もし、読者がまだ高学歴ニートで己の殻を破れていないのであれば、それはただ単に「きっかけ」がないだけだと思う。
そして、その”きっかけ”は、多分一番最悪な形でしか訪れない。
それは”死”だ。
俺の場合は、最低最悪のケースだった。
一番死んでほしくない人間に死なれてしまったし、なんなら「どうして俺が生きているんだ?」とも思ったよ。
いまいち釈然としないのなら、一度目を瞑って「自分が死んだ後のこと」を考えてみろ。
せっかく東大に通ったというのに、ニート生活を送った挙げ句、何も果たせぬままおしまいだ。
世間や周りは、どう思うだろうな?
幼馴染より先に俺が死んでいたなら、多分俺は「負け犬」「みじめな人」として、あの子の記憶から消えていただろう。
「今の俺の存在」なんて、その程度なのだ。
…死んでも「あいつは高学歴だけど、バカだった」だけで、終わるんだ。
そして、キレイに忘れ去られるんだ。
就職したい高学歴ニートへアドバイス
スコシテンのテーマは「存在と時間」でもあるので、今回、俺も体験談を寄稿させて頂いた。
俺の信じる、スコシテンの教義はこうだ。
「己の死を意識すればするほど、生きる意味と出会える」
「仕事で重い使命を持てば持つほど、命の価値が高まる」
もっとわかりやすく言えば、こうでもある。
「自分が死んだ後の社会的評価が、生きる意味につながる」
「仕事で責任を負えば負うほど、自らの価値が高まる」
俺は不幸なことに、幼馴染の死を通して、この真理を知ってしまった。
もし読者の高学歴ニートの君も、身内が突然死んだり、あるいは自分が死んでしまった時に「過去と未来の自分に、恥じない生き方」を選んで欲しい。
高学歴ニートにオススメの就職支援サービス
この記事で紹介したエピソードからわかる通り、高学歴ニートや高学歴引きこもりが生まれるのは「学歴への固執とその裏に潜む成功への妬み・コンプレックス」「高学歴の自分にふさわしい求人がないと決めつける傲慢さ」だと言えます。
もちろん、そういったプライドの高さや執念は人生を成功させるために大事ではありますが、そういった暗い感情にすべてを支配されふさぎ込むことは、自分の首を締めて将来の可能性を閉ざす結果にしかなりません。
社会に出てみるとわかりますが、高学歴の人にとって、会社には「こんな人でも働くことができるの?」「なんでこいつが上司で高給もらってるの?」とビックリするぐらい、周りが雑魚ばかりだと感じることも多いでしょう。
「能ある鷹は爪を隠す」ということわざがあります。
仮に読者が高学歴で能力の高い人材であっても、第一に会社で求められるのは「従順で聞き分けの良い新人」や「職場の雰囲気や既存のルールを壊さない中途採用者」なので、それに準じて立ち振る舞うべきです。
そういった「社会人として求められる当たり前の仕草」を身につけて高学歴本来のポテンシャルを活かす第一歩として、まずは20代向けの就職支援サービスでプロに相談シてみることがオススメです。
20代向けの就職支援サービス?
怪しくない?ブラックばかりじゃない?
このように思われる方も多いでしょうから、20代向けの就職支援サービスが成り立つ理由について少しだけ解説させてください。
職歴なしは卒業後3年以内なら「既卒」と呼ばれます。既卒は人材市場では「若いという理由だけで価値がある人材」として需要があります。卒業後3年が経過していても、20代までは未経験職への就職をサポートしている業者は数多く存在します。
これは企業目線で考えた際にも、若手向けの人材紹介サービス経由で採用するメリットが大きいからです。
「企業は完璧な採用ができる!」と思いがちですが、実際にはそうではありません。
企業からすれば、若手の採用の際に判断ポイントとなるのが「すぐに辞めないかどうか?」「社内で問題を起こさないか?」といった点です。「職歴なしかどうか?」「経歴が足りない」「能力がない」といった要素は、実はさほど見られてません。
「採用ノウハウがなく求人を出しても人がこない」
「応募が来ても自社に合うかどうか見抜けない」
「誰でもOKな無料求人で募集したら変な人まで来て面接の負担が増える」
「すぐ辞める社員やモンスター社員の採用だけは避けたい」
こういった悩みを抱える企業の代わりに、就職支援サービスを運営する会社が採用や面接の負担を背負っている…という構図になるわけです。
ここまで説明すれば勘の良い方はお気づきかもしれませんが、就職支援サービスを利用すること自体が「採用企業の代わりに人材の選考や教育を行う=就職支援サービスのサポートをちゃんと受ければまともな職に就ける」ということになります。
自分一人で就職活動する場合に、ゼロから「求人探し→履歴書作成→面接対策」しなければならない負担を、就職支援サービスが代わりにしてくれるというわけです。その証拠に、ほとんどの就職支援サービスでは「履歴書なしで面接可能」となっています。
「自分一人で就職活動しなきゃ…」と思ってたけど
そんなことしない方が実は効率的だった…!?
企業目線で見た場合も、無料求人で「誰でも応募できる」状態にするよりは、実績のある就職支援サービスを経由して人を雇った方が「すぐ辞める人材や問題社員を採用するリスクを減らせる」というメリットがあります。
ですので、採用に慎重で「いい人ほどを雇いたい」という優良企業ほど、実は表に求人を出さず、就職支援サービスを経由して人を雇おうとするわけです。
今までハローワークや無料求人サイトで
条件の良くない求人ばかり見ていた時間が
無駄だったかも…
この記事に訪れた「仕事の探し方がわからない…」という人ほど、就職支援サービスに相談した方が間違いのない仕事選びができるはずなので、この機会にチェックしてみてください。