「やってもらって当たり前の人にイライラする…」
「感謝できない人は育ちが悪いのかと疑ってしまう…」
「感謝しない人になぜかムカッとしてしまう…」
このようにお感じではありませんか?
やってもらって当たり前の人は「感謝できない人」「感謝の気持ちがない人」「気遣いができない人」「謙虚さがない人」「礼儀が欠けている人」「無礼な人」「恩知らずな人」「誠意がない人」「協力的でない人」「他力本願な人」「譲り合いの精神がない人」といった印象を周りに与え、知らず知らずのうちに他人に迷惑をかけたり不快感を与える存在であると思われているかもしれません。
具体的には、以下のような特徴があります。
- 他人の助けや善意を当たり前と考えている
- 細かい場面で感謝したり謝罪する習慣がない
- 謙虚さや礼儀が足りない
- 他人に手伝ってもらうことやしてもらうことが当たり前だと考えている
こういった人が職場や家庭にいると、親切で仕事を手伝う人物であったり、率先して面倒な仕事を引き受ける人の不公平感が強まり、次第に何かをやることがバカバカしく感じることが増えてくることでしょう。
一方で、感謝という見返りを強要するような態度は時として「ありがた迷惑」と受け取られることもあり、それは相手に対して過剰に期待している自分自身の願望の現れであることにも、注意しなければなりません。
そのような態度がエスカレートすると、今度は自分自身が「助けてやったんだから感謝ぐらいはするべき」と、他人に感謝を強要する傲慢な人物と受け取れてしまうわけです。
そうなってしまうと、せっかく他人のために献身的に働くことができる自分自身の評価を下げることにもなりますし、次第に誰かのために尽くす精神も消え失せていくというものです。
そういった背景も踏まえ、当記事では「やってもらって当たり前の人の特徴や心理」から「感謝されないことに怒りを感じている自分自身の心理」も合わせて解説し、やってもらって当たり前の人との適切な関わり方から対処法まで、ご紹介していきます。
やってもらって当たり前の人の特徴とは?
まずは、やってもらって当たり前な人によくある特徴をご紹介していきますの。ぜひ、読者自身が頭を悩ませている身近な人と照らし合わせて読んでみてください。
他力本願で主体性がない人【危険度:中】
やってもらって当たり前の人は、他力本願で主体性がない人が多いように思えます。
具体的には、以下のような例です。
- 仕事などの共同作業で、自ら積極的に動くこともなく他人にすべてやってもらい、自分は参加しない
- 家庭内で、掃除や家事などの共同作業に参加しないで、他の家族に全て押しを付ける
- 何か問題があると、自分で解決しようとせずにすぐに他人に頼る
- 自分のやるべきことを他人に押し付けて、自分は自由な時間を費やす
それも主体性がないため、他人に頭を下げて何かを頼むのではなく「察して動いてくれ」「他人は自分のために動いて当たり前」「何も言わなければ代わりに誰かが動いてくれる」という風に、無責任な態度で他人を動かそうとしてきます。
この手の人物のために身を割いて動くと、やがて、自分の思い通りにならない場合は文句を言ってくる割には自分自身は何ら手助けもしないなど、最終的に自分が消耗してしまうため注意が必要です。
責任転嫁が多く誰かのせいにする【危険度:中】
上記の他力本願に加え、自分の思い通りにならなかった際に、手伝ってくれた人のせいにして文句を言ってきたり、批判してくるような人物はとくに危険度が高いです。
誰かに頭を下げて物を頼むわけでもな、誰かが動いてくれるの待ってる割に、自分の思い通りにならないと他人の責任にするという、自発性と責任感に欠けた自立心のない人物だと言えるでしょう。
消極的で頼まれたこと以外は手伝わない【危険度:小】
世の中には数多くの「言われたことしかやらない」「指示や命令されたことしかしない」という人種がいます。
そのような人物からすれば、仕事で課題や責任を感じて自発的に動く人、夢や目標、あるいは他人のために献身的に動ける人は「なぜ、あんなに必死になって頑張っているんだ?」と疑問に思われる対象なのです。
ただ、この特徴に当てはまる人は、こちらが明確に指示を出したり物事を頼めばすんなり動いてくれることも多いという点で、さほど危険人物とは言えないでしょう。
他者や周りに対して無関心【危険度:小】
頼まれたこと以外やらない人は、そもそも、他者や周りに対しても無関心であることが多いです。
- 周りが忙しくても、自分だけは楽をしている
- 他人が困っている場面に出くわしても、手を差し伸べようとしない
- 同僚や友人が悩んでいると知っていても、無関心な態度をとる
この場合に考えられる要因は「能力不足」か「損得勘定」の2つに分類できます。
単に当人の能力不足の場合は、周りが困っている時もどう接すればいいかわからないため動けないだけかもしれませんし、他人や周りに気をつかえるほどの余裕がない状況なのかもしれません。また、単に視野が狭く他人が困っていることに気付けてない場合もあります。
次に損得勘定の場合ですが、不用意に他人を手助けしてしまうことで都合良く使われてしまうリスクを警戒しているか、あるいは他人が求めてないことを行って文句を言われないための防衛として関与しないから、いずれにしても何らかの打算や思惑があります。
これも当人に決して悪意があるわけではなく、頼み方次第では動いてくれる可能性があるという点では、危険度はさほど高くないと言えるでしょう。
常に自分の都合を優先させるような態度が目立つ【危険度:小】
前述のような特徴に加え、常に自分都合ばかり強調したり優先する人物も注意です。
他人に対してはやってもらって当たり前の態度な割に、自分自身は一切の労力を背負わないという点で、チームワークや対等な関係を壊す可能性があるからです。
具体的には、以下のような言動の人物が当てはまります。
- 他人との約束を優先して、自分との予定を事前にキャンセルする
- 仕事で他の人たちが忙しい中、手伝う素振りすら見せずに帰宅する
- 上記のような態度を指摘すると、責任転嫁のような言動を行う
このタイプは、集団においての和を乱す存在になりやすかったり、恋人・友人間であれば対等とは言いにくい関係になりやすいという点では、距離をおくべき人物像でしょう。
ただ、最初から期待しないで必要以上に労力を割かない、あるいは無視しておけば、さほど害がないという意味で危険度は低いと言えます。
感謝の言葉や気持ちが少ない【危険度:小】
やってもらって当たり前の人は、根本的に感謝の気持ちが欠けているとも考えられます。
単に「ありがとうという手間がめんどくさい」「感謝の気持ちを表すのが恥ずかしい」というだけならともかく、根本的に感謝の気持ちが欠けている人は恩を仇で返してくるような言動を平気で行うものです。
たとえば、以下のような言動に思い当たりがありませんか?
- 割に合わないことに時間を割いて対応したのに感謝されないどころか文句を言われる
- 自分の思い通りにいかないと不満を表してくる
- 他人の努力や苦労を労ることなくダメ出しばかりしてくる
こういった人は、他人が労力を割いたことに対しても無頓着なので「他人にやってもらって当たり前の人」と感じさせてしまうはずでしょう。
このような人の中には「感謝の言葉を口にするぐらいなら、文句を言った方がマシ」だとか「ダメ出しするの期待している証拠」と口にする人もいます。
もし、仮にそれが本心で相手のためを思ってのことであっても、言われる方はたまったものではありません。
また、感謝の言葉より不満が先に出てくる時点で「他人への不満>感謝」という優先度になっているわけですから、お世辞にも日頃より他人へ感謝しているような人間とは言い難いでしょう。
謝罪することが少なく反省の態度が見られない【危険度:中】
やってもらって当たり前の態度な人は、感謝やお礼同様、謝罪や反省をすることも少ないように感じます。
単に口下手で謝罪や反省の気持ちを現さないだけの場合もありますが、中には「適切な謝り方を知らない」「反省の態度を示す方法を知らない」など、そもそも謝ることや反省することを知らないまま生きてきた人種というのも一定数いる模様です。
その理由は定かではありませんが、
- プライドが高いためか、謝ったら負けだと思っている
- 謝ったり反省すると攻撃されると思っている
- 謝り方や反省の仕方を教わってないから知らない
などが考えられます。とくに驚くべきは最後の「教わってないから適切な謝り方を知らない」という人です。これはとくに年齢が高い人や社会的立場がある人ほど、顕著に見られます。
また、謝罪や反省も「その場しのぎのために適当に言っておけばいい」という態度が透けて見え、なぜ相手が怒っているか考えられなかったり、反省するにしても改善案を示せないなど、人としての誠意に欠けた対応を行いがちです。
たとえば、有名企業や行政施設などの大きな組織での不祥事の際、テレビニュースなどの謝罪会見で火に油を注ぐような謝り方でさらに炎上してしまうこともありますが、今まで不祥事の対応をしたことがないため、なぜ炎上して他人が怒っているかを理解できないまま、責任転嫁と受け取られてもしょうがない杜撰な謝り方をしてしまうわけです。
日頃の細かいコミュニケーションを軽視している【危険度:小】
やってもらって当たり前と他人に感じさせる人は、そもそもの日頃の細かなコミュニケーションを怠りがちです。
具体的には、
- 挨拶をしない
- 細かいことでお礼をしない
- 「ありがとう」「ごめんなさい」と言わない
- 細かな連絡に対して回答を返さない(既読無視する)
など、他人に対して「この人は他人の行動を一切見てないのでは?」と疑わせるようなコミュニケーション不足が日頃より目立つのです。
逆に日頃より細かいことコミュニケーションで他人の行動に対して反応をくれていたり、細かな感謝や謝罪の気持ちを伝えることが習慣づいてる人は、他人に「やってもらって当たり前の人」とは思われないはずです。
また、感謝の気持ちだけではなく、そもそもの「この人は他人の話を聞いているのか?」「周りをちゃんと見てるのか?」と思わせてしまいます。
本人が本当に感謝していないかどうかは別問題として、日頃より細かなコミュニケーションが欠けている人は何に対しても反応がないため、周囲に「やってもらって当たり前の人」と周りに思われてしまってもしょうがないと言えるでしょう。
一方的なコミュニケーションが目立つ【危険度:中】
一方的なコミュニケーションとは、以下のような例です。
- 自分の話ばかりで他人の話をほとんど聞かない
- 自分の都合の良いときだけ連絡や相談してくる
- その割にこちらが連絡や相談しても普段は無反応
- 会話のキャッチボールが成り立たず常に自分都合ばかり話してくる
- 頼み事や相談してくる時はすべて丸投げで協力する姿勢が見られない
総じて言えば、普段は自分のことを助けたり協力してくれない割には、こちらに頼ってくる時だけはやたら調子の良いことを言ってくるといった態度の人物です。
このタイプのタチが悪い点は、前述のような自発性がない人物とは違い、自発性があって周りを巻き込んで動かす力があるように思われやすい点にあります。また、調子の良いことを言うため初対面時の印象が良く、他人を乗せて動かす能力は高いと受け取られます。
しかし、実際にフタを開けてみると、都合が悪くなると他人に責任転嫁して逃げたり、自分の思い通りに動かない人物には批判的になるなど、根底に「他人は自分の都合良く動く駒や道具」としか思っていないような態度が露呈することとなるのです。
他人の時間や労力を尊重せず、事情や気持ちも考慮しない【危険度:大】
ここから先の項目はすべて【危険度:大】と設定しています、その理由は直属の上司や取引先など上の立場の人間がこの傾向があればあるほど、献身的で自発性のある人ほど割を食うリスクが大きくなるからです。
まず第一に危険な人物が、他人の時間や労力を一切尊重していない節のある人物です。
具体的には以下の例が該当します。
- 他人への影響を顧みず、急な予定変更を頻繁に行う
- 過度な雑談や相談で時間を奪ってくる
- 過剰な手直しや理不尽な要求で仕事時間を大幅に増やすような指示が目立つ
- 忙しい時に、断りもなく勝手に仕事や予定を追加してくる
- 休日の連絡対応やサービス残業の強要を平気で行ってくる
これらの迷惑な行動の裏には「他人の時間や労力をまったく考慮していない」「他人の事情を考慮していない」など、上の立場となる人物の思慮の浅さや思いやりのなさがあるように思えます。
なお、この特徴に当てはまる人物に一度「それはできない」と強い姿勢で突っぱねた際に「自分にも事情がある」「みんなも辛い思いをしている」などと自らのお気持ちや精神論を強調してくるような態度を取ってくるなら、さらに注意が必要です。
なぜなら、他人の事情や気持ちに関しては一切汲む気がない割に、自分が不利になると途端に言い訳がましいことを主張してきて共感を求めてくるなど、根っこの自分勝手な人格が露呈していると受け取れるからです。
他人に対する要求が高い割には自分に甘い【危険度:大】
上記に加え、他者の時間や労力を考慮していないため、平気で他者に高い要求をしてくる割には、自分自身は「出来ない」「わからない」と甘いという特徴もあります。また、他人の成果に対して厳しい評価や批判は行う割に、自分自身の話は一切しないといった傾向が見られます。
ですので、なまじ他人の要求や期待に応えられる人ほど、都合良くこき使われる結果になります。
とくに多いのが、ITエンジニアやプログラマーなどの専門職に対して「これ簡単にできるでしょ?」と頼まれ、実際に相手の要求通りに仕上げてしまったばかりに、後に要求がエスカレートして常に無茶ぶりされ続けるといった例です。
他人の成果や貢献を軽視する【危険度:大】
他人の時間や労力、気持ちや事情に対して無理解で考慮しない人物の根底にあるのが「他人の成果や貢献は大したことない、すべて自分の手柄」だという傲慢さです。
実際、このタイプの人間が上の立場にいると他人の成果や貢献を言葉巧みに過小評価して上の手柄のように扱うなど、到底、他者に対して最低限の尊厳も感謝もあるとは思えない態度を平気で取ってきます。
これはもう、相手が悪いだとか感謝が足りないとかではなく「今まで他人の手柄を横取りする態度で生きてきて、それが自分の手柄や功績であることが当たり前だと勘違いしている」という根本的な思想や価値観の違いでしかないので、距離を置いて最低限の付き合いしかしないように努めるなど、自己防衛しておく方がいいでしょう。
そして悲しいことに、役職や肩書きは立派な人物や一流企業の中にも、このような「taker(与えられる側)」気質の人物は多数存在するものです。
やってもらって当たり前の人の育ちや家庭環境は?
やってもらって当たり前の人は、生まれや育ち、家庭環境に問題があるとの声もあります。
とくに恋人や夫婦関係のような共同生活を営む場合において、生まれ育ちで培われた生活習慣や価値観の違いが顕著になるため、真っ先に「育ちや家庭環境の違い」だと思われやすいのでしょう。
また、恋人・夫婦間でなくとも、運命共同体となりやすいビジネス上の関係であったり、毎日同じ面子同士で顔を合わせる必要のある職場でも、それぞれの生い立ちや経歴による価値観の違い露呈してすれ違いを招くことがあります。
弊サイトの見解としては、やってもらって当たり前な態度に生まれ育ちは関係ないと考えています。
たとえば「母子家庭で育ち早期に自立していて苦労しているだろうにも関わらず、他人への感謝を示すことが少ない」という人もいれば、「財閥系の家庭で育った世間知らずと思いきや、他人への敬意や感謝を示すことが習慣レベルで根付いている」という人もいます。
ただ、通説としては以下のような価値観の違いは、生まれ・育ちによって見られるかもしれないので、ご紹介していきます。もちろん、下記の条件に該当する人物でもそうでない人もたくさんいるので、あくまで参考程度にお読みください。
恵まれた環境で育ってきたため苦労した経験に乏しい
ここでいう恵まれた環境は、必ずしも実家の裕福さを指すわけでなく「たまたま不運な境遇に合わず、今まで大きな失敗や挫折を経験することがなかった」「そのため、自分が恵まれていたことに気づく機会がなかった」という状況を指すものです。
そもそもで言えば、日本人の大半が義務教育過程を経て文字の読み書きや計算などの基礎教養を身につけているわけですから、これは発展途上国の人からすれば非常に恵まれているわけですが、それを「自分は恵まれている方だ」と感じる人は少ないことでしょう。
このように、あるのが当たり前な状況を恵まれていると感じることは、それがなくなったり通用しない場面に出くわさない限り、気づきようがないのです。
ですので、とくに学生時代から苦労することなく親や社会が与えたレールを順調に進み、有名大学から大手企業や公務員に就職したような、典型的な成功例を歩んでいる人でも、自分が恵まれた立場であることに気づかないなら、他人にやってもらって当たり前という態度になる可能性は十分ありえます。
もちろん、そこに至るまでの本人の努力はあったとして、背景には「そういうレールを敷いてくれる社会構造があったから」「先人たちが大学や企業という権威を築き上げ、それに乗っかることで得られる立場や仕事」という自分以外の功績があることを忘れてはなりません。
また、よく「二代目経営はボンクラになりやすい」と言われてるのも、親の功績である会社や社員という資産を、あたかも自分のもののように勘違いしてしまい、慢心や驕りが生じてしまうことが原因にあるようです。
長男・長女ではなく次男・次女以降
よく言われるのが長男・長女は責任感が強く色々と抱え込む性格に育ちやすく、次男以降は他力本願で甘え上手になりやすいという話です。
これは次男・次女以降は、長男が怒られる姿や家長としての役割を求められる姿を見て、要領良く責任を押し付けられないように立ち振る舞うのが上手になるからといった理屈です。
根拠や裏付けがあるわけはないですが、言われてみると思い当たる節がある方も多いのではないでしょうか?
実家がスパルタ教育
やってもらって当たり前の人の中でも他人への要求がやたら厳しい人物は、実家がスパルタ教育方針だった可能性があります。
なぜなら、大学への進学や安定した企業への就職も「出来て当たり前」という価値観で育ち、自分自身も難なくそれをクリアしているため、無意識レベルで他人にも「出来て当たり前」を求めてしまうからです。
自身が感謝されたことがないという境遇から「自他ともに自分の役割をこなして当たり前」という価値観であるため、単に他人へ感謝しないのが当たり前になっているだけと考えられます。
身内に裏切られたり騙された経験があり人間不信
人生には、身内だと信じていた関係においても、裏切られたり騙される経験があるものです。
そういった経験をすると人間不信に陥り、他人に感謝したり尽くすことがバカバカしくなったり、恐怖の対象となることもあります。
当記事で紹介しているような特徴に当てはまっていても、何かしら「実は感謝していたり、こちらを認めている節がある」と感じるような人物は、過去の経験から疑り深くなっていたり、素直に自分の意志を示すことができないだけなのかもしれません。
やってもらって当たり前の人の対処法とは?
他人に期待しない:無駄な労力を割かない、見返りを求めないなど
他人に感謝されないことに不満を感じたり、やってもらって当たり前な態度の人にイライラしてしまうのは、それだけ他人に対して見返りを求めたり期待している気持ちがあるのかもしれません。
ただ残念なことに、他人が自発的に見返りを与えてくれることは非常に稀です。
たとえば、仕事で周りの何倍努力しても給料が倍になるわけではありませんし、場合によってはそれが過小評価されてしまうこともあります。
ですが、長い目で見れば、その努力は自分の血肉となって活きることがありますし、いずれ評価してくれる相手と出会えることだってあります。
しかし、世の中には圧倒的に他人の努力や献身を「やってもらって当たり前」と搾取したり奪い取ろうとする者が多いので、そういった相手に過剰に期待せず、むしろ「変に努力すると都合良く使われるだけ」と警戒しておき、過剰な労力を割かないように自己防衛しておくことが重要でしょう。
やってもらって当たり前な人の末路は幸福ではないと知っておく
やってもらって当たり前な人、他人に感謝できない人の末路…というよりも、現状ですら満たされていない可能性が大きいです。
まず第一に、自分自身では何もできないからこそ他力本願になるわけですし、率先して物事を動かす力がない時点で「与えられる存在」で居続けるしか選択肢がありません。
また、やってもらって当たり前な人がマネージャーや管理職のリーダー的な立場にいる場合、どこかのタイミングで周りから人が離れていくような事態に直面するものです。その結果、高い人件費を払って必死に採用求人を出しても社内に人が定着せず、自分自身が苦労し続ける憂き目に遭います。
このように、やってもらって当たり前な与えられる側の存在は、自分の思い通りにならないと他人に不平不満を漏らして誰かが動くのを待つか、代償として高いお金を払って人を動かすか、そのような手段でしか他人に助けてもらえないという点で、実は幸福度はさほど高くないのです。
周りが感謝できない人ばかりの職場なら転職を考えるのも手
このページに訪れた方は、おそらく周りの感謝できない人に大きなストレスを抱えていることかと思います。それが恋人や家族なのか、職場の上司や同僚、またはお客なのかはわかりませんが、仮に職場の感謝できない人なのであれば、転職を考えてみるのも一つの手でしょう。
というのも、職場に「やってもらって当たり前」という人が多いと働き者ほど苦労することになりますし、仕事相手に感謝されない環境で働き続けても次第に精神が消耗していくだけの未来しかありません。
ですが、しっかりと転職活動を行って、周りに本当に必要とされて関わる人からも感謝される環境で働ければ、自分の人生もより良いものと変わっていくことでしょう。
もし、今の職場で周りから感謝されないばかりか、他人のために頑張っても恨まれるような環境にいるのでしたら、それは職場に集まっている人間が恩知らずか、社内環境自体が「誰かにやってもらって当たり前」となってしまっているだけですので、この機会に真面目に転職の可能性を考えてみるといいでしょう。
ただ、読者の中には「自分の経歴やスキルでは転職は難しい…」「職場の感謝できない人が理由に転職するのはありなの?」と疑問に思われる方や不安な方も多いかと思います。