就活でも転職活動でも、あるいはキャリア・仕事全般に大事になるのが「自己分析」ですが、これが出来ていない人間はかなり多いです。
ちまたの「自己分析のやり方」なんてものを読んでいると「は?なんの役にも立たないんだけど?」とツッコみたくなるのですが、それすなわち「自己分析出来てない奴が、他人の知識や言葉を受け売りで書いている」だけであることを意味していたりします。
つまり「自己分析のなんたるかをよく理解していない奴が、自己分析のやり方を書いている」だけなので、そりゃあ参考になるわけねえよ…っつう話。
んで、私が仕事を通して、かなり副産物的にではありますが「ああ、なるほど。自己分析ってこういうことね…」と色々と腑に落ちたので、今回、私独自の方法論・思考法として書き記したいと思います。
あらかじめ言っておくと、かなり腹黒く打算的な方法論です。
…が、潜在意識で「そんなこと思っちゃいけない…」と思い込んでいる人も多いと思うので、あえてド直球な表現で書かせていただいております。
少しでも多くの読者の自己分析の気づきや参考になれば、幸いです。
自己分析するなら「他人を知って、他人と比べろ」
私の解釈では「自己分析とは、他者分析である」という結論に至っています。
なぜかというと「他人を知らなければ、客観的・相対的に自分を知ることはできない」からです。
冷静になれば当たり前のことに思えますが、存外”自分のことで精一杯”で余裕のない現代人にとって、非常に見落としやすいことなのでは?…とも思います。
この気づきのきっかけとなったのは、かの有名な兵法書「孫子の兵法」のおかげです。
彼を知り己を知れば百戦殆からず。
彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。
彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し。出典:孫子の兵法
要は「己を知りたければ、まずは敵を知れ」と説いているのです。
以上の前提を踏まえた上で、私が副産物的に自己分析に活用した思考法をご紹介していきます。
まずは「他人に負け続けろ」「失敗し続けろ」
敵(=相対的な自分)を知るには、まずしっかりと戦って己の力量を知ることが大事です。
それはなぜか?
本気で戦って負けたり、本気で挑戦して失敗したことのない人間に「自分の限界」なんて、わかるわけがないからです。
わかりやすく言えば「若いうちに他人に打ちのめされておけ」「やれるだけやって、自分の限界を知っておけ」「敗北を味わって、自分の力量を弁えておけ」ということ。
たとえば、かの夏目漱石は大学時代は英語主席で卒業して渡英するも、イギリスで己の限界を知り神経衰弱、尻尾巻いて逃げた結果、日本語文学の才能を開花させた経緯を持ちます。
つまり、自分の限界や力量を知ったからこそ、己の進むべき道に出会えたということ。
現実では「負け続けること」なんて当たり前で、上位1%の大企業様とそれ以下の中小企業以下の構図になるわけですから。
誰しもが「負け組」であり、そこから這い上がっていく過程こそが「自己分析」なのです。
自分の認識を疑え
人間の脳というものは、ずいぶん自分勝手に情報を解釈します。
たとえば、自分のしたい仕事を「向いている仕事」と紹介している文だけを好んで読んだり、逆に自分がしたくない仕事を「向いていない仕事」と受け取って挑戦する前から勝手に判断するなど、無意識で「自分にとって都合のいい情報」だけを抜き取っているのです(バイアス)。
ですので、自己分析をしっかりしたいのであれば、まずは自分の認識自体を疑う必要があります。
たとえば、自己分析ツールでよく「自分は社交的or内向的」という質問がありますが、他人と話す経験が欠けている人は「内向的」と答えるに決まっています。
…が、実際社会に出て営業経験を積むうちに「あれ?自分って意外と他人と話すの嫌いじゃないかも…?」と気づく可能性も、十分にあり得ます。
その場合、そもそもが「自分が内向的か社交的かの判断が不能」なのです。
ここに気づかず「自分は内向的だから、営業や販売職は向いていない…」と思い込んでいては、本来適性のある仕事に就くチャンスを逃す結果にもなります。
「自分に出来ないこと」「自分の欠点」を知っておけ
自己分析で重要なのは「自分に出来ないこと(苦手なこと)」「自分の欠点」を素直に認めておくことです。
人間、時間は平等にしか与えられていないので出来る努力も限られていますし、ましてや才能・適性の類は努力だけで覆しようがありません。
ですので、早期に自分の苦手な分野や欠点は、把握しておくに越したことはないのです。
この部分を誤って「自分もそれぐらい出来る…」「本気出せばそれぐらい…」だの見栄を張ると、自他共に実力を見誤る結果になります。
どんなにマルチな才能がある人間であっても、努力して仕事に出来るまでの時間がかかる上、時間はすべての人間に平等に与えられています。
つまり、自分の苦手な分野や欠点は最低限だけ克服しておき、得意分野にコスト(時間、お金)をかけた方が他人に勝てる確率が上がるのです。
ま、基本的に世の中「他人の弱みや欠点を指摘して悦に浸ってくる人間」の方が大多数なので、考えなしに生きていると「自分の欠点は治した方がいい」と思いがちです(揚げ足取って言質どるのは政治家の基本)。
しかし、苦手なことや欠点の克服には時間もかかりますし、精神的苦痛も伴います。
コミュニケーション能力が苦手な人が、飛び込み営業で無理矢理対人能力を磨くにしても、あまりに時間がかかりすぎますし、途中で脱落する人も少なくはありません。
あるいは、理系学部を卒業していない人が技術系の専門職に就こうものなら、ゼロから理系学部の学生が勉強している科目を勉強しなければなりませんので、これは他人に追いつくまであまりに時間がかかりすぎます。
ですので、社会人は「自分が出来ないこと・苦手なこと・欠点」を正確に把握しておく必要があるのです。
ただし、日本人は完璧主義な性格の人が多いので、実社会ではしょっちゅう「こんなこと出来て当たり前」「そんなことも出来ないの?」「”出来ません”じゃない、やれ」などと言われることも多いので、欠点の使い分けは重要です。
他人よりも優れていることを洗い出す
「自己分析」なんて言うと、いかにも哲学的かつ内省的で「自分と向き合う行為」に思われがちですが、違います。
いかに自分が他人より優れているかを自覚するための方法論です。
要は「あ、この分野ならすでに成功している人間にも勝てるな」とか「なんで凡人ってこんなことも出来ないの?」とか「同僚よりも自分のほうが仕事出来るわ」と思うことが、あなたの”優れているところ”であり、それが自己分析です。
こう言うと「謙虚さが足りない!傲慢だ!」と思われるでしょうが、違います。
過度な謙虚さは卑屈さにつながり、結果として傲慢と同じ効果しか生みません。
明らかに仕事もできて超絶優秀な人材が「どうせ、自分なんて…」と嘆いてリーダーシップゼロだと、周りのその人よりも能力のない人間の士気が落ちますから。
ただし、日本人は表面的には「平等」「出る杭は打たれる」「横並び」が大好きなので、他人より優れていると誇示するのは、総じていい結果につながらないのも確かです。
ですが、んなもんは「表に出さなければOK」なのであって、別に心の中で思うのは勝手です。
「客観的に自分を知る」ためには、時に謙虚に、時に傲慢に自分を測る必要があるのです。
この世は「競争社会」である事実を思い出せ
「自己分析=他者分析」が重要な理由は単純で、しょせんこの世は競争社会でしかないからです。
大人は「みんな平等」「それぞれに個性がある」なんてキレイゴト並べますが、それを実現出来る社会構造になっていないのは、ちょっと社会に出れば嫌でも思い知らされます。
そんな競争社会で、同僚や同年代、あるいは上司に競合他社に勝つためには「誰よりも自分が自分を正しく理解する」ことなのです。
そして、自分を正しく理解しておき、他人には意図的に過大評価・過小評価させておくことも大事な戦略になってきます。
社会では、まず「自分自身を正当評価してもらえる」ことなんか、万に一つもありません。
人は他人を見た目・実績・社会的ステータスで判断しますし、それすら偏見にまみれていますし、さらに内心では差別心・劣等感・嫉妬心も持ち合わせています。
ですので、他人を正当評価するのなんて、まず無理です。
…であれば、期待値や見た目などで評価される場面(面接、合コンなど)では過大評価させておいてチャンスをつかみ、小手先の技術が通用しない場面では過小評価させて油断させておけばいいのです。
「ありのままの自分=正確に自己分析された自分」なんて誰にも見せる必要はないし、誰も見たくないのです。
「自己分析」することで、他者評価なんかどうでもよくなる
自己分析を徹底することで得られる最大のメリットとは「他者評価なんかどうでもよくなる」と言うことです。
ハッキリ言って、私はもはや「どれが自分の本心で、どれが自分の感情か?」がわからなくなっております(というか、もうどうでもいい)。
そして、他人に関しても「どれが本心で、どれが本当の感情か?」も、わかりません(自分がどうでもいいので、他人はもっとどうでもいい)。
ですが、実はこれは当たり前のことかもしれません。
人間の感情なんて一時の気分に流されますし、社会的責任や影響力のある人でさえ「発言と行動を一貫する」なんてことは出来ていません(なので、賢い人ほど無口で余計なことを言わなくなる)。
ですので、自分の一時の心理状態や感情、あるいは他人の評価を基準に「自己分析」するのなんて、どう足掻いても間違った認識にしかならないのです。
で、その間違った自己像に振り回されるからこそ、現代人は生きづらく感じるわけですね。
自分を無能だと責めてくる環境にいれば無能になりますし、逆に自分を有能だとおだてくれる環境にいれば有能になります。
しかし、それはただの一時の他者評価でしかなく、環境や状況が変われば評価が一転することなんか珍しくありません。
そんなご時世だからこそ、若いうちに「自己分析」をしっかりとしておき、自分自身を正しく認識し、周りに流されない強さを身につけ必要があるのです。
もし、あなたが就職や転職で自己分析の方法を探しているのであれば、目先の方法論だけにとらわれずに「なぜ、自己分析をする必要があるのか?」を、一歩踏みんこんで考えてみてください。
別に自己分析なんて出来てなくてもいいんじゃないの?
ただまあ、人材会社の手先として働いている私からすれば「別に無理に自己分析しなくていいんじゃないの?」とも思ってます。
なぜなら「ポジティブ体育会系のリクルート」「いい子ちゃんマナーのマイナビ」「地に足がつかないパーソル(doda)」あたりは、明らかに「自己分析出来ていない利用者向け」という面もあるからです。
確かにビジネスでも就職・転職活動でも「自分の意志や軸がしっかりしている人」は、非常に働きやすい相手でもあります。
ですので、自己分析は大事です。
…が、誰もがそう簡単に自分を理解できて、なおかつ言語化して相手に的確に伝えられるとは限りません。
これはWEBライターとして、毎日1万文字も書いている私だからこそ、言えることです。
自己分析を徹底して行うことは、非常に難しいことなのです。
ですので、転職活動に際して自己分析が上手く出来ない方は、素直に大手転職エージェントを活用して、プロからアドバイスを受けておくのも、スマートな選択肢だと言えるでしょう。