基本的に私は戦いや争いは大嫌いな人種です。
なぜなら、戦いや争いは疲れるからです。
こういうことを言うと「情けない」「格好悪い」などと思われるんでしょうが、無益な戦いや争いに巻きまれて消耗するよりは、格好悪い方がずっとマシです。
ただ、世の中には「争いを避けては通れない事態」というのも、ままあるのも確か。
ですが、冷静に考えれば「戦ったり争わずに済むな」というケースがほとんどです。
なぜなら、本当に戦う・争うしかないのであれば、それはもはや”戦争”だからです。
本当に戦ったり争いたいのであれば「物理的にブチのめす」という最強の問題解決方法が我々人類には許されているのですから。
そのあたりも、踏まえて「出来る限り、戦わない・争わないで済むための考え方」をご紹介していきます。
世の中には「戦わない・争わない」で済むことが多い
私は元来、臆病すぎるほどに慎重な性格です。
(MBTIでは「INTJ(INTP)」→INTJ適職考察記事、リクナビNEXTのグッドポイント診断では「悠然」など→グッドポイント診断感想記事、完全に長考・熟慮タイプに寄ってます)
ですので、そもそもが「戦わざるを得ない状況を作り出さないこと=事前の対策」に、すべての主眼を置いております。
これは単に私が歴史好きで、我が国の第二次世界大戦の過ちがあまりにアホすぎて、反面教師として心に刻んでいるからでしょう。
学校教育で「戦争は悲惨です、平和な社会を実現しましょう」なんてキレイゴトを教えられますが、一定の功は為しているみたいです。
ですが、世の中には「何も生み出さない無益な戦い」だとか「身内同士で余計な足の引っ張り合いをしなければならない」だとか、本当にしょーもないいざこざに巻き込まれることはよくあります。
当サイトでもそのあたりの「無駄な戦いに巻き込まれた人向けの記事」を書いております。
その際に参考にした文献や考え方が、副産物としても非常に役に立っております。
客観的に見て、戦わない・争わないで済むケースは、おおむね以下の通り。
- 勝っても大したリターンが得られない場合
- 負けても失うものが少ない場合
- 勝つことが困難な場合
…まあ、歴史的に見ても生き残った勢力が普遍的に行っている戦略ですが、現実の「局所的な争い」にも適応できるケースが多いと感じたので、考え方の原則として記しておく次第です。
勝っても大してリターンが得られないケース
私が戦わない・争わない…というか、煽りや挑発に乗らないと決めている基準が「勝っても大してリターンが得られない」場合です。
現実でよくあるケースで言えば、以下のような感じ。
- しょーもない見栄の張り合い(ステータスや年収がどうのこうの)
- プライド争い(自分が年上だから偉いとか)
- 正しいor間違いだけが目的の論破合戦・揚げ足とり(どっちの考えが正しいか)
基本的に、人間「自分が正しくて、自分が優秀」だと思い込みたいものです。
なんで、普遍的に「自分が上、お前が下」と権力を誇示したがる生き物です。
まあ、冷静に考えれば以上のような争いで勝っても、ただ虚しくなるだけですからね。
…が、現実にはこういう「しょーもないケンカをふっかけてくる輩」は少なくはありません。
もうちょっと具体例挙げると、以下のような感じ。
しょーもない見栄の張り合いの例
- 自分はこれだけ実績があるのですごい
- 自分のやっていることはこれだけ社会に影響を与えている
プライド争いの例
- 自分の方が有名大学出ているから優秀
- 自分の方が年収上なので優秀
- 自分のやっている仕事のほうが努力も才能も必要なので偉い
- 自分は年上で会社に貢献したから偉くて当たり前
正しい・間違いの論破合戦や揚げ足とり(説教)
- 日本語の使い方が間違っているなどの細かい・どうでもいいミスの指摘
- 「お前のやり方は間違っている」などの余計なお節介
以上のような煽り・挑発の類は、たとえ敵意や悪気なくても言ってくる輩は非常に多いです。
で、多少は「イラッ」と来ることも、ままあります。
しかし、その際に「それに言い返して相手を打ち負かせたとして、得るものはあるのか?」と考えると、総じて「何も得るものはない、勝手に言わせておけ」という結論に至ります。
なので、別段勝つ必要がないのです。
むしろ、この手の煽り・挑発の場合は、早期にこちらが負けを認めておく方が手っ取り早いですし、円満に行くことが多いです。
もともと勝っても得るものがないので、負けたところで何も問題がないですから。
具体例を挙げますと、口だけで昔の武勇伝ばかり語る無能な上司なんかが、いい例でしょう。
たとえば、飲み会などで「最近の若者は~」「昔はこうだった」とか言い出したら、すかさず「参考になります、私の周りの友人もそういう輩ばかりですので、ぜひとも〇〇さんの経験を参考にしたいです」など、乗せておけばいいのです。
もともと、日本の組織では上司や年上には立場上勝てないのですから、勝つ必要自体ありません。
こうして見れば「表面上は負けているように思わせて、実際は精神的に勝っている」とも言えますね。
私の師の教えですが「人間、先に大人になった方が勝ち」が真理です。
負けても失うものが少ないケース
戦わない・争わないで済む場合は「負けても失うものが何もないケース」ですね。
より厳密に言えば「負けても失うものや被害が極めて軽いケース」とも言えます。
前述の「勝ってもリターンが少ないのであれば、勝たせておけ」と重なる部分もあります。
就活生の就活や、既卒・ニート・無職の転職活動なんて、まさしくこれです。
面接で落ちたとしても、せいぜい交通費や履歴書送付代と移動時間ぐらいしか失いません(その手間と費用が惜しいのであれば、もはや何も言うまい…)。
なので「絶対に受かるため=勝つための正しい戦略」なんて、必要ないのです。
むしろ、負け前提で考えておいたほうが気が楽ですから。
ですが、潜在意識として「自分はこのぐらいの仕事じゃないとやらない」とか「自分は学歴があるからもっといい仕事があるはずだ」とか思っていると、根本的に自分の能力や評価を見誤ります(自覚できていないだけで「プライドが高い」「自己愛が強い」と思われるパターン)。
結果、面接に落とされる度に「自分が否定された=負けた」という気分に陥るのです。
私流の「自己分析のやり方」にも書いてある通り、さっさと「負けてもいいところで負けておく」方が、早期に自己理解が深まるので、負けてもいいところでさっさと負けておく方が色々と楽です。
でなければ「見えない敵と戦って、勝手に悔しがっている」状態にしかならんのですから。
物事の「やらなくてもいい」という判断則にもつながる
仕事では、明らかに「負けるのがわかっているのに、無駄な仕事をやらされる」というパターンが、よくあります。
私はこのケースの場合「やっているフリをしておく」か「怒られるの前提でやらない」の選択肢をとります。
もちろん、ケースバイケースなので、基本的には「まずは言われたとおりに、マジメにやる」が大原則です。
…が、自分で判断できるようになってくると、明らかに「やらなくてもいい無駄なこと」や「明らかに成果に結びつかない指示」などのノイズも混じります。
このノイズを見極め、優先順位の高い仕事からこなしていくことが、中間管理職の本来的な役割です。なので、中間管理職・マネージャークラスは、判断力=経験が必要になるわけです。
※私の場合は今は個人事業主なので、各業務範囲や判断基準を「現実の仕事や組織図で言えば、どの部分に当たるか?」をシミュレーションしながら考えております。
これに関しては、かの第二次大戦の神風特攻隊について考えれば、わかりやすいです。
仮にあなたが部隊長だとして、戦争に負けるどころか「戦闘機が敵艦船に突っ込んでも戦局は変わらない」「敵艦船は高度な対空迎撃ミサイル搭載なので、そもそもの特攻成功率自体が低い」の情報や知識があったとします。
そこまでわかれば、まずまともな頭をした部隊長なら「律儀に特攻しないで、途中で不時着するなりして、生き伸びることを考えろ」と指示するはずです。当時で言えば軍事違反なので、その手の記録は闇に抹消されているはずですが、ちょっと頭のいい人なら絶対にやっていたはずです。
…まあ何が言いたいのかと言うと、世の中「どんな逆境でも立ち向かうほうがかっこいいし立派」だとか「戦わなければ勝てない」だとか、そういう精神論がもてはやされがちですが、それも危ういということです。
この考え方で行けば「負けても被害を最小限に抑える」とも言い換えられるでしょう。
仕事も同じことで「やらなくても、被害を最低限に抑えられる」ことは、別にやらなくてもいいのです。
「負けてもいい」と表の態度には出さないことが大事
…が、現実では「必死になってる奴がエライ」「努力している”姿勢”が評価される」みたいな、目的と手段の認識が逆転している人もかなり多い点には注意。
「明らかに負けることがわかっている=無駄だとわかっている仕事」を振られても、基本的に体育会系精神論バカはそこまで考えていないことが多いので、聞く耳持ちません。
むしろ、以下のようなワケのわからん論点のすり替えを行ってくるので、下手な進言をすれば敵対関係になりかねません。
「やってみなきゃわからない」←やらなくてもわかることもある
「代案出せ」←それを考えるのが上の仕事だ
「お前がやれ」←自分の権限でどうこう出来ないから相談しているんだ
上記のような責任を負いたくない責任者がいると、選択肢は「黙って従うしかない」となるのです。
で、後から実際に失敗して「ほら、言ったとおりじゃないか」と言ったとしても「結果論だ」と、しょうもない水掛け論に突入するので、人間は同じ過ちを何度も何度も繰り返すのです。
このあたりはもう、私も散々痛い目にあってきて慣れたので「話の通じないバカには、何も言うまい」という感じです。
勝つことが困難なケース
一番、戦ったり争ってはいけないケースは「勝つことがあまりに困難な敵」です。
言い換えると「勝ってはいけない敵」です。
この種の相手とは、絶対に争ってはいけません。
たとえば、私がこんなちっぽけなサイトで業界・会社・社会批判の記事を書けるのは、私が大して力がなく、誰からも脅威としてみなされていないからです。
その程度の存在は「負け犬の遠吠え」だとか「うるさい蝿が飛んでいるな」程度で、勝負のステージにすら立たせてもらえません。
しかし、これが大企業クラスの役員や経営陣だとどうなるでしょうか?
ま、たとえば自社内の不正をすべて公開し、社会正義を貫いたとしましょうか。
それで大幅に赤字が出たとします。
そんなことすれば、株主や取引先に「お前が、余計なことしやがったから売上落ちたじゃないか」と責められて、文字通り消されます。
で、同業界内・関連グループ企業すべてにブラックリスト入りさせられ、永久追放です。…ていうか、多分「自殺しました」扱いになっちゃうんじゃないでしょうか。
そういう極端な例はともかく「中小・零細クラスの企業で明らかに決定権を持ちまくっている社長」とか「業界内に強いコネや影響力を持っている大人物」とか、そういう相手に敵対心を見せたら最後、つぶされかねないのです。
「戦わない・争わない」という選択肢を考え続けよう
どうにも最近の若者(とくにネット民)を見ていると「勝つか負けるか?」という価値観にこだわりすぎです。
それすなわち「勝つor負ける」の2択しか思いつかないのですから、視野が狭くなって当たり前です。
世の中、そんな単純な二元論で済むのであれば、誰も苦悩しません。
実際、社会・経済・歴史をしっかり学ぶと、今の政治家も資本家も「戦争にならないために、非常に細かい調整や交渉を行っていて、その奇跡のバランスで平和が保障されている」という事実に気づきます。
また、アメリカの移民排斥の論調を見ているとわかりますが、日本国内でも将来的には必ず「正規VS非正規」「日本人VS外国人」「若者VS高齢者」という分断社会を促す言論がもてはやされる時代が来ていて、今後ますますその機運は高まるはずです。
そこで別の選択肢を提示し、仕事やビジネス、生き方で多様性を認め、活路を開けるかは各々の考え方次第です。
その基本的な思考の基盤を作るためにも「戦わない・争わないという選択肢」を、意識してみてください。